大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 平成4年(ワ)1523号 判決 1998年5月27日

主文

一  原告の請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

理由

【事実及び理由】

第一  請求

被告は、原告に対し、ドイツ連邦共和国通貨金四四三八万六六一四・二六マルク及び別紙1金利目録記載の各内金に対して、同金利目録記載の支払済みまでの各期間について、同金利目録記載の割合による金員を支払え。

第二  事案の概要

本件は、ドイツ連邦共和国の製薬会社である原告が、被告の製造するアミノ酸の一種であるエル・トリプトファンの供給を受け、これを原材料として医薬品を製造・販売していたところ、右エル・トリプトファンを含有する医薬品ないし健康食品を摂取した消費者に好酸球増加筋肉症候群(EMS)が発生し、当該医薬品の回収を余儀なくされ、また、販売許可停止等による損害を被ったが、これは、被告が製造方法の開示義務及び製造工程変更の通知義務を怠ったためであるとして、被告に対し、主位的に債務不履行に基づき、予備的に不法行為に基づいて、右損害の賠償を求めた事案である。

一  前提事実等(特記しない限り当事者間に争いがない。)

1 原告は、ドイツ連邦共和国(以下「ドイツ」という。)法人であり、ドイツ及びその他の国において、医薬品、医療機器等を製造・販売することを業とする会社である。被告は、日本法人であり、各種の化学製品を製造・販売すること等を業とする株式会社である。

2 原告は、一九八三年(昭和五八年)ころから一九八九年(平成元年)ころにかけて、被告の製造するアミノ酸の一種であるエル・トリプトファン(以下「LT」という。)を、その単一製剤である「カルマ」、複合製剤である「ケトステリル」、「エセンチエーレ・アミノゾイレン」という医薬品の原材料として継続的に使用してきた。

原告の製造にかかる「カルマ」等の右医薬品は、いずれもドイツ連邦保健局(以下「BGA」という。)の製造許可及び販売許可を得た上で製造し、ドイツ及びその他のEC諸国において販売されてきたものである。

原告は、被告が製造したLTを、第一回注文の一九八三年は、被告の全額出資の子会社でありドイツ法人である昭和電工ヨーロッパ会社(以下「SDE」という。)を直接の売主として、その後、一九八五年(昭和六〇年)ころから一九八九年六月までは、スイス法人であるシーベル・ヘグナー・ローストフ社(以下「SHR」という。)を直接の売主として、購入してきた。

3 LTは、生命保持に不可欠な八種類のアミノ酸のうちの一種であり、人体では生成されないため、食品または医薬品として、外部から摂取する必要がある。

被告は、一九八一年(昭和五六年)一二月、LTの商業生産化を決定し、大分工場建設に着手した。同設備は、一九八二年(昭和五七年)一二月末、完成し、被告は、同工場でLTの生産を開始した。被告製のLTは、飼料用添加物を別とすれば、医薬品ないしは健康食品の原材料として、主として米国とヨーロッパで販売され、消費者により摂取されていた。

LTは、米国では、従来から、不眠・うつ状態・女性の月経前症状などに対して投与されてきたが、医師の処方箋なしで気軽に購入でき、健康食品としても出回るなど、近年の消費は著しく伸びており、特に一九八八年(昭和六三年)から一九八九年にかけては、摂取人口が倍増しているという報告がある。

4(一) LTの製造過程は、大別して発酵工程と、精製工程からなる。<1>発酵工程とは、グルコースとアンスラリル酸からLTを製造する工程であり、<2>精製工程とは、イオン交換樹脂、脱色膜、活性炭を利用してLTを含んだ発酵液の精製を行う工程である。

(二) 被告は、LTの製造のため、発酵工程において、バチルス・アミロリキファシエンス菌というバクテリア菌を使用していた。そして、右バクテリア菌株は、LTの生成能力を高めるために、改良され、順次ストレイン[1]~[5]と呼ばれていた。これらの使用時期は次のとおりである。

<1>ストレイン[1] 一九八二年(昭和五七年)一二月~一九八四年(昭和五九年)一〇月

<2>ストレイン[2] 一九八四年一〇月~一九八六年(昭和六一年)七月

<3>ストレイン[3] 一九八六年二月~一九八八年(昭和六三年)一一月

<4>ストレイン[4] 一九八七年(昭和六二年)一二月(二バッチ)、一九八八年九月(四バッチ)、一九八八年一一月~一二月

<5>ストレイン[5] 一九八八年一二月~一九八九年一一月

なお、被告は、一九八四年一〇月にストレイン[1]から遺伝子工学的に改良を加えた同一菌のストレイン[2]に変更して以降、改良の方法として、右バクテリア菌株に遺伝子工学を施すことを行っていた。

(三) また、被告は、精製工程において、次のとおり変更した。すなわち、精製に用いる活性炭の使用量については、当初は、LT二四〇キログラムの製造に当たり、一バッチ毎に約六〇キログラムであったが、その後、活性炭の量の削減を目的として、一九八六年九月と一九八七年一二月に粒状活性炭塔を新たに設置し、一九八七年一二月以降、一バッチ毎に一〇ないし二〇キログラムに減量し、一九八九年一月ころには、一バッチ毎に一〇キログラムとすることを決定した。さらに、被告は、LTを精製する一過程として、発酵液をイオン交換樹脂に通していたが、一九八八年四月以降、この時間を、二四時間から二二時間に短縮した。加えて、脱色膜の直前の発酵液における色素の集中が低く、素結晶の状態が良いと判断された場合には、随時、脱色膜処理を部分的に省略するなどした。

5 LTの供給を巡る原告・被告間のやりとりは、一九八三年から一九九〇年(平成二年)にかけて行われ、そのうち主要なものは、以下のとおりである。

(一) 一九八三年の春、原告とSDEは、原告が被告製造のLTを購入することの交渉を始めた。この年、被告は、原告に対し、いくつかのLTのサンプル品を提供したが、右各サンプル品には、「関係者各位」に宛てた被告の成分分析証明書が添付され、それぞれに「我々は、我々の知りうる限りにおいてこの製品に関する以下の分析が真実であり正確なものであることを保証します。」と記載されていた。これらの分析証明書は、それぞれ一九八三年三月三日付け、同年七月一二日付け、同年九月七日付け、及び同年一二月一二日付けのものである。

(二) 一九八七年一一月一三日、被告は、SHRを通じて、原告に対し、一九八七年一一月五日に受け取った原告の要請に基づき、二頁のLTの製造工程表及びその説明書を提供した。さらに、被告は、同年一二月九日にも、SHRを通じて、原告に対し、右と同様のLTの製造工程表及びその説明書を提供した。

6(一) 被告は、原告に対し、一九八八年二月一二日付けの確認書に署名することにより、一九八七年一〇月三〇日付けの原告のS37/6規格書及び原材料供給者の製品に関係する資格についての一般要件(以下「一般要件」という。)を履行することを保証した。

(二) 被告は、原告に対し、一九八八年六月三〇日付けの確認書に署名することにより、一九八七年一二月一一日付けの原告のS587規格書及び一般要件を履行することを保証した。

(三) 被告は、原告に対し、一九八九年六月一四日付けの確認書に署名することにより、一九八七年一〇月二九日付けの原告のS397/2規格書及び一般要件を履行することを保証した。

(四) 右のとおり、被告が履行することを保証した右一般要件には、以下の文言の記載がある。

「フレゼニウス規格書/原材料供給者の製品に関係する資格についての一般要件」「フレゼニウスの供給者となり得るためには、供給者は、その初期物質、製造工程並びに加工過程及び最終段階において行われる管理の詳細をも含めた製品の品質保証書を提出することとする。

供給者は、製品の品質に関係する全ての製造工程における変更をフレゼニウスに通知することに合意する。フレゼニウスは、供給者に製品規格書を提供し、供給者は供給する製品がこれらの要件に合致することを確認する。」

(五) 右一般要件は、ドイツ一般取引条件法(以下「一般取引条件法」という。)の適用対象となる「一般取引条件」に該当する。一般取引条件法第五条は、次のとおり規定しており、不明瞭準則または曖昧性の原則(以下「曖昧性の原則」という。)といわれている。

「第五条

普通取引約款の解釈において疑いがある場合は、約款使用者の不利になるものとする。」

7 被告は、原告に対し、LT生成菌株への遺伝子工学の使用という製造方法を開示しなかった。また、被告は、一九八八年一二月末の時点において、原告に対し、LT生成菌株の遺伝子工学技術を使用したストレイン[5]への変更及び精製工程の変更を通知しなかった。

8 一九八九年の後半、LTを含有する医薬品ないし健康食品を服用又は食した者の一部に好酸球増加筋肉痛症候群(以下「EMS」という。)という副作用が発生した。これらのEMS患者は、被告が製造したLTを摂取した旨訴えていた。

同年一一月、米国でLTの摂取とEMSの発生との間に何らかの関係がある疑いがあるとの新聞報道がなされ、米国食品医薬品局(FDA)は直ちにLT製品のリコールを要請した。

同月、被告は、LTの製造、販売を中止した。

9(一) 一九八九年一二月一一日、原告は、市場から「カルマ」を自主回収することとし、その旨をBGAに通知した。

同月二七日、BGAは、原告の製品「カルマ」を含むLTの単一成分の製品の販売許可を停止した。

(二) 一九九〇年(平成二年)九月二六日、原告は、「ケトステリル」及び「エセンチエーレ・アミノゾイレン」を自主回収することとし、その旨をBGAに通知した。

同月二七日、BGAは、原告の製品「ケトステリル」及び「エセンチエーレ・アミノゾイレン」を含むLT複合製剤の販売許可をも停止した。

(三) そして、これら医薬品にかかる販売許可停止処分は、数度にわたり期限が延長され、最終的には、一九九五年一二月三一日まで停止されることとなった。

二  当事者の主張の要旨

(主位的主張-債務不履行)

1 準拠法

(一) 原告の主張

本件における被告の契約責任の有無は、立証責任の問題も含め、ドイツ法に準拠して判断される。

(二) 被告の主張

契約そのものの準拠法がドイツ法であることは認めるが、契約責任に関する立証責任の問題について、全てドイツ法が適用されるわけではなく、「表見証明」「一応の証明」「事実上の推定」といった、証明責任の対象となる主要事実の証明の手法に関する準拠法の問題、すなわち、類型的経験則の適用の是非の問題は、性質上、手続問題であり、「手続は法廷地法による」との大原則により、法廷地である日本法ないし日本における事実認定の手法が適用になるのであって、日本の裁判所がドイツにおける裁判所の経験則適用の手法に拘束されるという考え方は、事実認定についての自由心証主義の原則とも相容れない。

2 契約の成否

(一) 原告の主張

(1) 原告と被告との間のやりとりが契約としての拘束力を有するかどうかの判断基準は、被告の内的な意思ではなく、意思表示の行われた状況を客観的に考察し、被告が原告の意思表示をどのように理解したであろうかを明らかにすることである。

右基準を本件にあてはめると、前記一般要件の遵守を約束する確認書への調印を含む原告と被告間のやりとりは、ドイツ法上「品質保証取決め」として位置づけられ、契約としての拘束力をもつものである。

(2) 製造方法の開示

被告は、一般要件の遵守を約束したことにより、原告との間で、医療品の供給者として、その製造について一般的に行われている方法と異なる方法を使用した場合には、それを開示する義務を負担することを合意した(一般要件第一文)。そして、被告が遺伝子工学という技術を利用することは、右開示義務の対象に含まれる。

すなわち、一九八八年当時のドイツにおいて、遺伝子工学の使用は、新規で標準的でない技術であり、原告を含むドイツの医薬品製造業者にとって意外であった。

(3) 製造工程変更の通知

被告は、一般要件の遵守を約束したことにより、原告との間で、LTの品質に関係する全ての製造工程における変更を通知する義務を負担することを合意した(一般要件第二文)。そして、被告が一九八八年一二月に行ったストレインの変更と精製工程の変更は、次のとおり、右通知義務の対象に含まれる。すなわち、

<1> 通知義務の対象となった「品質」は、原告の規格書で定められた製品仕様とは、明確に区別されており、より広い意味で使用されている。製品資格一般要件の発案者であるフリードリッヒによれば、一般要件の導入は、医薬品の安全性を証明するために決められている厳格な規制を遵守するのに製造工程が重要であるという認識の下に行われ、原材料の品質に関するいかなる変更をも確実に原告に知らされることを目的としていた。したがって、原材料が規格書の要件を充たすだけでは十分ではなく、原材料の品質と安全に影響を及ぼし得る製造工程及びその変更を原告が了知することが極めて重要なのである。

<2> ストレイン・精製工程の変更が、LTの品質に影響を及ぼしうることは、一九八八年七月に、アー・エス・ビオロギッシュ・ウント・ファルマツァイティッシェ・プロドゥクテ有限会社(以下「ASB社」という。)が他社のLTに含まれない未知の不純物が被告製LTの中に存在することを指摘し、この問題が解決するまで支払を止めるとして、被告に対して不純物の同定を要求したことに端を発するピークD問題(以下「ピークD問題」という。)から明らかに裏付けられる。

<3> 一般要件の趣旨から考えても、被告による変更が、原告の最終製品に対し、どのような影響を及ぼすかは、原告のみが吟味し判断し得る能力と資格を有する問題である。

<4> 原告がLTの品質に重大な関心を抱いており、その一環として一般要件への同意が被告に求められ、しかも一般要件において医薬品の安全性確保のためにその原材料の製造工程を原告が重要視していたことは、客観的に明らかだった。

(4) 一般取引条件法五条(曖昧性の原則)について

一般取引条件法五条に関しては、誠実な受け手(典型的に関与する取引関係者の中の平均的受け手)が全文の文脈における条項の位置づけ並びにその意義と趣旨に沿った常識的な解釈をして、なおかつ、条項の内容を解明できない場合(そのような解釈を行ってもなおある条項について複数の解釈が可能であり、そのうちいずれも明らかに他に優先するものではない場合)に、初めて同条の定める曖昧性の原則の適用がある。

一般要件の条項を合理的かつ誠実な平均的受け手(本件の場合においては、外国の製薬産業と取引を行う大企業である原料供給者)を基準として解釈した場合、同条項は、曖昧でも多義的でもない。したがって、本件において一般取引条件法五条の「曖昧性の原則」を適用する余地は全くない。

(二) 被告の主張

(1) 一般取引条件法五条について

本件で問題となるようないわゆる「一般取引条件」、すなわち、一方当事者により多数の相手方に対して同一の契約条件が用いられる場合については、一般取引条件法五条により、裁判所の契約解釈の権限は大きく拘束される。すなわち、<1>ある条項が不明確な場合(複数の合理的解釈が存在しうる場合)、その作成者に不利に、その相手方に有利に解釈がなされなければならない(曖昧性の原則)、<2>具体的な条項の文言の解釈は、当該文言を平均的な受け手が理解するところに限定され、契約の目的その他の状況を理由として、そのような平均的な受け手の理解する意味を超えた意味を解釈により与えることは許されない(制限原理)。

したがって、一般取引条件法五条に基づき、当該確認書及び一般要件の文言が当該文言の平均的な受け手にとって明確・明示的かつ一義的に原告主張のような義務を含むと理解されることを基礎付ける事実を、原告において主張・立証しない限り、裁判所としては、原告主張にかかる契約解釈を採用することができない。しかし、以下のとおり、本件においてそのような事実が何ら存在しない以上、右文言の下で原告主張の義務を被告が負うことはない。

(2) 本件における文言の解釈

<1>(イ) 右一般要件及び確認書には、「遺伝子工学の使用の事実を開示する」「菌株のストレインの変更を通知する」といった文言は存在しない。

(ロ) 一般要件第一文には、ドイツ語の“macht”や英語の“should”という義務的な意味合いがより弱い表現が使われており、契約としての拘束力のある合意と言えるかは疑問である。また、第一文の文言上、開示が問題となるのは、供給者としての資格を最初に認められて供給を開始するときに限るというのが通常の読み方である。

(ハ) 第二文の文言は、平均的な受け手の理解から見れば、LTの発酵に用いる菌について、改良した菌株(従前と同一の種の菌の異なる菌株)を用いること(いわゆる菌のストレインの変更)は、同一の製造工程における製造要素の変更にすぎず、「製造工程の変更」には含まれないとの合理的解釈が可能である。「品質に関係する」との文言も、製品仕様で特定された品質に関係しないものまで含める趣旨か、関係する場合に限定される趣旨であるかは、文言上、明らかでない。このような場合に、被告に不利益に拡大解釈することは許されず、むしろ、関係しない変更は、通知義務の対象とならないと解釈するのが合理的である。

<2> 右のとおりであるから、本件において、平均的な受け手、すなわち日本の化学製品製造会社の法律的素養のない通常のビジネスマンにとって、一般要件及び確認書の文言から原告主張のような開示・通知義務が定められているということは、明白かつ一義的に理解し得ないものであり、むしろ、右のような義務は定められておらず、原告に提供した製造工程表及びその説明書に変更がある場合で、かつ規格書に定める品質に影響が及びうる場合にのみ通知義務が発生するとの解釈が合理的解釈として存在する。そして、被告担当者は、そのように認識していた。発酵に用いる菌株の改良に当たっての遺伝子工学の内容・意味合い(遺伝子工学による改良は、伝統的な突然変異による改良に比べて、より安全性が高いと考えられていた。菌株自体は、最終製品には残らない。遺伝子工学の内容もセルフクローニングないしはそれに準ずるものにすぎず、製品の規格や安全性に影響があるとは考えられなかったこと等)、当時LTの製造に遺伝子工学を用いることは、既に日本では公知の事実となっていたこと、当時、日本のみならず海外においても、既に多くの企業により遺伝子工学が採用されていたこと、使用技術は、通商産業省の定めるガイドラインに沿ったものであり、通商産業大臣より適合確認を得ていたこと等に照らしても、無理からぬ解釈である。

<3> 仮に伝統的な解釈手法をとったとしても、次の事実に照らせば、被告の主張する解釈の方が合理的である。すなわち、原告は、製造工程表・説明書以外に、製造工程についての説明や追加資料を求めることはなく、発酵方法による製造であるとの開示があったにもかかわらず、発酵に用いる菌の種類や入手・開発方法について問い合わせることを一切しなかったなどの事情がある。

(3) 以上のとおり、本件では、原告主張のような開示義務・通知義務は存在しない。

3 因果関係

(一) 原告の主張

(1) EMS発生の原因は、被告の行ったアミノ酸製造方法の変更(新バクテリア菌株の使用と、活性炭を減少させる工程の変更)に起因する不純物(その指標は「ピークE」と呼ばれる)によるものと考えられる。

ピークEとは、被告製LTについて、高速液体クロマトグラフィー試験を行った際、関係ロット中に観察されるピークのパターン(97=ピークE)である。

(2) 原告の在庫品償却による損害

原告の半製品・完成品の価値喪失分の損害(在庫品償却分の損害)は、BGAによる販売停止決定とは関係なく、不純物を含む被告製LTを原料として加工された段階で既に発生している。これに対し、逸失利益を含む原告のその他の損害は、いずれもBGAの販売停止決定を原因とし、右決定後に発生している。

以上のことをふまえて、まず、原告の在庫品償却分の損害については、以下の三つの事実が立証できれば、被告の義務違反と原告の損害との間の因果関係が認められることになる。

<1> 一九八九年におけるEMSの疫病的発生が被告製LT中の不純物を一因とすること。

<2> 被告のLT中の不純物が、一九八八年一二月のストレインの変更若しくは精製工程の変更に帰せられること(通知義務違反の場合)、または、LT中の不純物が遺伝子工学の利用という新技術に帰せられること(開示義務違反の場合)。

<3> 被告が原告に対し、製造工程の変更を通知し、または、遺伝子工学の利用を開示していれば、原告が被告製LTを利用しなかったであろうこと。

(3) 原告のその他の損害

前述のとおり、逸失利益を含む原告のその他の損害は、いずれもBGAの販売停止決定を原因とし、しかも右決定後に発生している。このため、右損害と被告の義務違反との間の因果関係が認められるためには、右(2)<1>ないし<3>の要件に加えて、さらに、以下といずれかが立証される必要がある。

<4>-1 原告製品について発生したEMSを契機とする原告の働きかけを一つの原因としてBGAがLT製品の販売停止決定を行ったこと。

<4>-2 被告が契約上の義務を履行していれば、他のドイツの医薬品製造業者も被告製LTの購入を見合わせ、それゆえドイツにおいてEMSの疫病的発生はなく、その結果、BGAがLT製品の販売停止決定を行わなかったであろうこと。

(4) 右各要件について

<1> 要件<1>について

要件<1>については、以下のような六つの間接事実が認められる。

(イ) EMS患者が被告製LTを成分とする医薬品を服用していたことが典型的であったこと。

(ロ) 一九八八年一二月以降に製造された被告製LTが市場に出回った後に初めてEMSの疫病的発生があったことが典型的であったこと。

(ハ) 汚染されたと考えられる被告製LTの出荷時期と潜伏期間を考慮した上でのEMSの疫病的発生の時期が時間的に近接していることが典型的であったこと。

(ニ) EMSの疫病的発生が他社製のLTを成分とする医薬品との関連では起きなかったことが典型的であったこと。

(ホ) 被告製LTを成分とする医薬品の販売中止により、EMSの疫病的発生が消失し、純粋なLTの使用によりEMSの疾患が回復した個別事例もあったことが典型的であったこと。

(ヘ) EMSの疫病的発生につき、他の具体的に考えられる原因が欠如していること。

右のような事実が本件において認められる以上、EMSの発生が被告製LT中の不純物によることについて「一応の証明」(ドイツの判例によって形成された理論で、ある事実が存在すれば、それが一定の方向の経過をたどるという「定型的事象経過」が存在する場合に、その定型性から一定の原因事実が推認されるという理論)があったというに十分である。したがって、本件においてこれを覆すには、被告は、EMSが別の原因によるという可能性を示す事実を証明する必要がある。しかるに、被告は、他の具体的な原因を明示することすらできていない。

さらに、右の因果関係は、「一応の証明」にとどまらず、疫学上も明らかである。

<2> 要件<2>について

要件<2>は、本来であれば、原告が証明責任を負う事項であるが、実際には立証責任の軽減が図られている。すなわち、要件<1>を原告が立証できれば、遺伝子工学の使用、ストレイン・精製工程の変更がEMSの疫病的発生の原因となった不純物の発生と無関係であることを証明するのは被告の責任なのである。

<3> 要件<3>について

要件<3>の立証責任は原告が負う。ただし、原告は、要件<3>の立証に代えて、被告による通知ないし開示を受けた場合に、原告がとり得る合理的な行動が被告製LTの使用を中止することに限定され、他の可能性が排除されるという事実を立証することができ、右立証に成功すれば、立証責任の転換が行われる。

<4> 要件<4>について

要件<4>の立証責任は原告が負う。要件<4>-1を裏付ける事実とは、具体的には、原告のBGAに対する一九八九年一二月一一日付け及び一九九〇年九月二六日付けの書簡が、BGAの販売停止決定の一因であり、原告が被告製LTの継続的使用を差し控えていれば、それらの書簡を送る理由がなかったことを意味する。

<5> 追い越し因果関係について

被告は、後記追越し因果関係の原則の適用により、原告の在庫品償却以外の損害の賠償責任は排斥されると主張する。しかし、<1>被告が原告に対し、通知ないし開示を行っていれば、BGAによる販売停止措置はなされなかったと考えられるし(積極否認)、<2>被告が原告の競業者に対し、遺伝子工学の利用を開示せずに医薬品原材料として使用するLTを販売すること自体が不法行為に該当する場合、あるいは被告が契約上の義務に違反して他の医薬品製造業者に対する開示を怠った場合には、信義則上、被告が追越し因果関係の理論を援用することは許されない(再抗弁)。

(二) 被告の主張

(1) 今日に至るまで、EMSの発症原因が何であるかについては、医学上いまだ解明されていない。また、EMSは、被告製造にかかるLTを摂取した者に限って発症したものではなく、原告主張の因果関係は存在しない。

(2) 原告が主張するような因果関係の連鎖が完結するためには、原告主張の開示義務・通知義務に従って被告から原告に対して開示・通知がなされていれば、<1>原告において直ちに被告製LTの使用を停止したであろうこと、その場合<2>他の製薬会社においても同様に被告製LTの使用を停止したであろうこと、それにより<3>EMS症例は、ドイツにおいては発生しなかったであろうこと、かつ、その場合<4>BGAの販売許可停止決定はなされていなかったであろうこと、の全ての要素がまず揃わなくてはならない。そして、これらの立証責任は、原告にあるが、かかる立証はなされていない。

(3) 追い越し因果関係

仮に前記要件<1>ないし<4>が原告により証明されたとしても、なお、BGAは、そのころ、米国等他国のEMS発生報告等により、やはり販売停止決定をしていたであろうということを被告が抗弁として立証できれば、原告の逸失利益に関する請求はなりたたなくなる。

(4) 立証責任

<1>(原告の仮定的行動)については、開示・通知を受けた場合に、原告がとり得る唯一の合理的な行動が被告製LTの停止に限られることが原告により立証されたときは、原告においてかかる行動をとっていたものとの推定(立証責任の転換)が働くものとされるが、かかる立証責任の転換は<2>(原告以外の第三者の仮定的行動)については働かない。

4 過失

(一) 原告の主張

被告の契約義務違反が肯定される本件においては、ドイツ法により、契約義務の違反が被告の過失に基づくものと推定される。

被告の過失の有無は、被告の社内体制の整備も含め、被告が経口用の医薬品の原料製造者に要求される取引上必要な一般的な注意義務を果たしたかどうかにより判断されるが、本件の場合、ピークDを除去するために行われたストレイン[5]の導入及び精製工程の変更が、LTの品質に影響を及ぼし得ることは明白であるし、遺伝子工学の利用は、新規の技術で、原告のようなドイツの医薬品製造業者にとって意外なものであったのだから、被告が通知・開示義務に違反したことにつき過失があったことは明らかであり、右過失の推定が覆される余地はない。

(二) 被告の主張

(1) 無過失

仮に、原告主張の開示義務が認められるとしても、原告自身が作成した規格書にも一般要件にもかかる開示義務は明示されておらず、また、原告自身、遺伝子工学利用の有無や使用する菌の種類・由来、活性炭の使用量等につき、何らの問合せもせずに、従来どおり被告製LTの購入を継続していた事実、及び、当時、ドイツの薬事法上もBGAの行政実務としても遺伝子工学の使用により新たな許可を取得することを要求しておらず、時間のかかる届出手続も必要でなかった事実に照らせば、外国法人である被告が当該義務の存在を知らなかったことに過失がないことは、明らかである。

(2) 予見可能性の不存在

被告は、EMS問題が起きる数年前から、当時最先端の技術水準を用いた品質管理を行い、かつ文献調査及び各種動物実験を行ってきた。しかし、LTがEMSを発症させることを示唆する情報も実験結果も得られなかった。ピークEは、一九九〇年一一月になって漸く同定に成功したものであり、EMSも一九八九年末に初めて独立の病気として認知されたものであることからすれば、被告は、当時の最高の科学水準をもってしてもEMSの発症を予見することはできなかった。

(3) 過失相殺

仮に、被告に過失が認められるとしても、本件では、遺伝子工学の利用の事実等が原告にとり決定的に重要な事実であることを被告に対して伝えることもなく、それまでに開示されていた製造工程表やその説明文だけでそれ以上の開示を要求することもなく、菌の種類や活性炭の使用量等を問い合わせることもなく、漫然と被告からLTの購入を継続していたなどの事実に照らせば、原告側の寄与過失は、被告の責任を完全に否定するほど重大である。

5 損害

(一) 原告の主張

(1) 保護範囲

被告の債務不履行の場合の損害賠償の範囲について、明示の合意がないので、ドイツ法上、如何なる損害が右通知義務・開示義務の保護範囲に含まれるかが問題となるが、ドイツ法によれば、保護範囲は、当事者が当該取決めに持たせようとした役割及び取引慣行を考慮した上で、信義則により判断すべき事項である。しかも、被告に過失が認められるような場合には、保護範囲は広く解釈される。すなわち、加害者は、過失ある不完全履行により被った全ての財産上の損害を賠償する義務を負う。逆に言えば、加害者の行為から偶然に被った被害者の損害のみが保護範囲から除かれる。

かかる観点から、本件を見ると、逸失利益を含む原告の全損害が保護範囲に含まれることになる。すなわち、本件では、<1>被告に過失があり、<2>原告と被告との間の取決めは、BGAの規制を念頭に置いており、BGAが制限を課すことにより生ずる損害をも防止しようとする意図を含んでいると考えるのが合理的であり、<3>被告の通知・開示義務の履行は、原告の最終製品における品質変更、欠陥の発生から生じうる損害から原告を守るための基礎となるものだからである。

(2) 具体的損害発生の事実とその額

原告は、被告の債務不履行により、別紙[2]損害リストに記載した各時期に、各項目の損害を被ったものであり、その総額は、一九九五年(平成七年)末までの実損及び逸失利益並びに販売再開のために確実に必要とされる将来費用の合計額で九一六一万〇三三二・五八マルクの損害を被り、さらに一九九六年(平成八年)以降も追加的に逸失利益の損害を生じている。

原告は、右損害の一部として、四四三八万六六一四・二六マルクを請求するものである。右四四三八万六六一四・二六マルクの内訳は、別紙[2]損害リストの各損害のうち太線で囲った損害の合計金額である。

(二) 被告の主張

原告による損害額の算定は、極めて不合理かつ不明瞭であって、いまだ十分な立証がなされたということはできない。特に、逸失利益の点については、被告の原告に対する義務違反の有無にかかわらず、米国でのEMS症例報告により、米国FDAは、LT製品の販売を事実上全面的に禁止し、ヨーロッパ各国も自国内でのEMS症例の有無にかかわらず、LT一般に対する副作用の嫌疑から、販売停止措置あるいは使用停止勧告等を行っていたのであるから、そのような状況の下で、それまでと同水準のLT製品が販売でき、同水準の販売利益が上げられたはずであるとの原告主張は不合理である。

(予備的主張-不法行為)

1 準拠法

(一) 原告の主張

本件で問題となっている被告の不法行為責任は、特殊な類型のものであり、日本の法例一一条の対象外と考えるべきである。したがって、本件においては、条理に従い、専らドイツ法が適用される。また、不法行為責任の一要件である因果関係の問題について「一応の証明」の理論の適用があるかどうかという点についても、契約責任について述べたところと同様、専らドイツ法に準拠して判断されるべきである。

(二) 被告の主張

不法行為責任については、法例一一条二項により、日本法が重畳的・累積的に適用され、原告において、ドイツ不法行為法上の要件の充足に加えて、日本の不法行為法で要求される要件の充足を主張・立証しない限り、不法行為責任は成立しない。

仮にドイツ不法行為法上、過失の推定が定められていても、法例一一条二項により、日本法が重畳適用され、原告において過失の立証をしない限り、日本の裁判所において不法行為責任を認めることはできない。

2 要件

(一) 原告の主張

本件において、原告が被告に対して求めている不法行為上の請求は、ドイツ民法典第八二三条に基づく損害賠償請求である。その要件は以下のとおりであり、本件において、以下の要件を充たしていることは明白である。

(1) 原告の生産素材にかかる所有権侵害に基づく損害賠償請求

<1> 被告のLTとともに加工された原告の生産素材に関する所有権の存在

<2> 原告の損害の発生(右保護法益の侵害)

原告の生産素材にかかる所有権は、被告製LTに瑕疵があった場合(本件では、EMSの疫病的発生の一因となった不純物が被告製LTに含まれていた場合)に侵害されたことになる。右事実は、一般的に原告が立証しなければならないが、ドイツ法の下では「一応の証明」の理論により、原告の立証責任が軽減されることになる。

<3> 被告の危険回避義務違反の存在

本件において被告の危険回避義務違反が肯定されるのは、以下の二つの場合である。

(イ) 一九八八年当時、医薬品の原材料として使用されるLTの製造に遺伝子工学を利用することがドイツの医薬品製造業者にとって、予期できず標準的なものでなかった場合には、被告が原告に対し、医薬品原材料としてかかるLTを供給すること自体が、ドイツ不法行為上の危険回避義務に違反した行為に該当する。

(ロ) 仮に、遺伝子工学の利用が、その当時のドイツにおいて標準的なものであったとしても、被告が契約上の義務に違反し、ストレイン・精製工程の変更を通知せずに、原告にLTを供給したといえる場合には、契約違反のみならず、不法行為法上の危険回避義務違反が肯定される。

<4> 被告の過失

本件のような製造物責任においては、被告の製品に瑕疵があることが証明された場合、被告の過失が推定される。

<5> 原告の損害と被告の危険回避義務違反との因果関係

右因果関係を肯定するのに必要な事実は、以下のとおりである。

(イ) 一九八九年におけるEMSの疫病的発生が被告製LT中の不純物を一因とすること。

(ロ) 被告のLT中の不純物が、遺伝子工学の利用(遺伝子工学の利用自体を被告の危険回避義務違反と捉える場合)またはLTの製造工程の変更(製造工程の変更を通知するという義務に被告が違反したことを被告の危険回避義務違反と捉える場合)に基づくこと。

(ハ) 適正な被告の情報開示があれば、原告が被告製LTの使用を差し控えたであろうこと。

<6> 原告の損害の額

不法行為上認められる損害の額は、契約上認められる損害の額よりも若干狭い。すなわち、原告が被告から取得した不純物を含むLT自体(右LTに寄与する逸失利益相当額を含む。)は、原告による不法行為上の損害賠償請求の対象からは除外されるのである。

(2) 原告の「組織され、運営されている営業」の侵害に基づく損害賠償請求

<1> 原告の「組織され、運営されている営業」の存在

被告が主張するとおり、営業権の侵害による損害賠償請求権は、従属的請求権であるが、従属性の原則を本件に適用した場合、原告の営業権侵害に基づく損害賠償請求が直ちに排斥されることにはならない。そして、本件においては、「従属性(補完性)の原則」が適用される余地はない。

<2> 原告の「組織され運営されている営業の存在」と「事業関連性」(要件<1>及び<2>)

原告の営業権侵害による損害賠償請求が認められるためには、被告の侵害行為が原告の事業の核心的活動に直接的影響を及ぼしたことが必要である。これを本件にあてはめれば、具体的には、原告の事業全体かまたは少くとも原告の一事業部門もしくは重要な複数の部門が比較的長期にわたり、根本的に阻害されたことを要する。

本件において、原告のカルマ等のLT含有製品の製造事業部が原告の「組織され運営されている営業」をなしており、しかも、原告製のLT含有医薬品からEMSの疫病的発生が認められ、その結果、BGAの販売停止措置が行われ、相当長期にわたり同事業部の活動が根本的に阻害されたことは明らかである。

<2>、<4>及び<6>は(1)と同じ。

<5> 原告の損害と被告の危険回避義務違反との間の因果関係

生産素材にかかる所有権侵害に基づく損害賠償請求の場合と同様である。ただし、営業侵害を理由とする請求の場合には、生産素材に対する侵害と異なり、その損害がBGAの販売停止措置を直接の原因とするものであるから、BGAの販売停止措置を「追越し事由」として捉え、「追越し因果関係」の主張の成否が問題となり得る。しかし、この点に関しても、契約責任について述べたところと同様である。

(二) 被告の主張

(1) 所有権侵害

<1> 所有権の侵害

原告の所有権は、被告によって供給されたLTに瑕疵があった場合にのみ侵害され得る。仮に、原告の主張するように被告製LTに含まれていた不純物がEMSを発生させたのであれば、被告の供給したLTには、瑕疵があったことになる。しかし、六年に及ぶ集中的調査にもかかわらず、EMSの原因は未だに判明していない。そして、「一応の証明」は手続法の問題として扱われるから、被告製LTがEMSを発生させた事実を証明するに十分な証拠を原告が提出しているか否かは日本法に従って判断される。しかるに、原告は十分な証拠を提出していない。

<2> 危険回避義務の違反

原告は、被告が「新規で潜在的に危険な製造方法」である遺伝子工学を使用していたこと及び一九八八年に行った特別な「製造方法の変更」を開示することを怠ったことにより危険回避義務に違反したと主張する。

しかし、第一に、一九八八年当時、遺伝子工学は製薬業界において既に広く使用されており、被告による右技術の使用は、政府当局によっても承認されていた。さらに、現時点において被告が当時使用していた製造方法を評価しても、右方法は安全であり、また、被告による遺伝子工学の使用がEMSの原因であるとの証拠は存在しない。したがって、被告が使用していた遺伝子工学は新規の技術でも危険な技術でもない。

第二に、被告は一九八八年に原告に対する開示義務の対象となるような製造工程の変更は行っていない。そもそも一九八八年一二月に行われた菌株の変更は、原告が主張するように被告製LT中にピークDが発見されたことに起因するものではなく、被告が日常的に行っていたLTの製造の効率化の一環として行われたものに過ぎない。

そもそも本件における不法行為請求は、予備的請求であり、原告は、不法行為で問題とする被告の行為を遺伝子工学の利用等について開示・通知をしなかったことに限定しているのだから、契約上の請求が棄却される理由が、原告被告間にそのような開示・通知義務が存在しないという理由であれば、ましてや契約外の一般不法行為上の義務として、そのような開示・通知義務が生じようはずがない。

<3> 過失

製造物責任においては、被告の製品に瑕疵があることが証明された場合、被告の過失が推定されるが、被告の側で当該瑕疵がいわゆる開発中の瑕疵、すなわち、被告が最先端の製造方法を採用し、製造当時用い得る最も注意深い検査手順を用いても発見し得ず、また回避し得ない瑕疵に該当することを示した場合は、右過失の推定はくつがえる(開発危険の抗弁)。

この点、米国の複数の専門家は、被告が当時用いていたLTの製造方法は、常に当時の科学技術における最高水準に達していたとしている。さらに、右製造方法は、適用され得る全ての規制にも合致していた。よって、被告には過失がない。

<4> 因果関係

原告は、被告製LTに瑕疵があったことを立証しなければならないが、前述のとおり、この点に関し、原告は立証責任を果たしていない。

また、本件では<1>被告製品の瑕疵が、遺伝子工学の使用、遺伝子工学の施された菌株の使用、または精製工程の変更のいずれかに起因することが必要であるが、この点については、科学的研究によりかかる事実がEMSとの間に関連性を有するものではないことが判明しているし、<2>被告が遺伝子操作された菌株の使用や精製工程の変更を原告に通知していれば、原告は被告製LTの購入を中止したであろうことを原告は立証しなければならず、本件においては、被告が仮に原告に通知していた場合に採り得る原告の合理的な選択肢は複数存在したため、その立証責任は転換されないが、原告は、この点も立証できていない。さらに、契約責任におけると同様、BGAの販売停止決定は、被告に帰責することのできない追越し事由を構成する。したがって、右因果関係は認められない。

(2) 組織され運営されている営業の侵害

<1> 営業侵害に基づく請求の従属性

組織され運営されている営業の侵害に基づく請求は従属的な請求であり、原告の財産権への侵害や契約責任に基づく請求が理論上可能な事案には適用できない。

<2> 核心的かつ直接的な事業に対する侵害

判例上は、原告の営業に対する侵害が「核心的かつ直接的」な場合、または「事業に直接向けられた」場合に限りこの理論に基づく請求が認められており、営業侵害が成立するためには、一般には、(イ)被告が故意に基づき、不法行為を行った場合であるか、(ロ)被害者の事業の核心的部分に対する重大な侵害が発生している場合であることを要する。

本件においては、(イ)の被告の行為が故意に基づくものであるとの主張はない。そこで、(ロ)が問題となるが、右要件を充足するためには、原告の事業全体かまたは少なくとも原告の一事業部門もしくは重要な複数の支店が相当長期間にわたって閉鎖されることを要し、あるいは、原告の医薬品製造をこの業種で根幹基礎を揺るがすほどの長期間にわたって不可能にしたことを要するところ、本件において右要件が充足されていないことは明らかである。

<3> 因果関係

営業侵害と損害との間の因果関係については、(1)<4>と同様の理由で、認められない。

五  争点

(主位的主張-債務不履行)

1 準拠法

2 合意の成否(開示・通知義務の有無)

3 因果関係の有無

4 過失の有無

5 損害

(予備的主張-不法行為)

1 準拠法

2 原告の生産素材にかかる所有権侵害に基づく請求の成否

3 原告の「組織され、運営されている営業」の侵害に基づく請求の成否

第三  争点に対する判断

(主位的主張-債務不履行)

一  争点1(準拠法)について

原告に対する被告の契約責任の有無については、法例七条二項により、行為地法たるドイツ法が準拠法となる。そして、立証責任の問題についても、法律効果の発生要件と密接に結びつくことから、その性質上、実体法の問題として捉えられ、実体関係の準拠法であるドイツ法に依るものと解する。

これに対し、「表見証明」ないしは「一応の推定」は、ある事実が存在すれば、それが一定の方向の経過をたどるという「定型的事象経過」が存在する場合に、その定型性から一定の原因事実が推認されるとする理論であり、自由心証の枠内での経験則の適用の結果にすぎない点で、真偽不明のときに適用される立証責任や立証責任転換とは異なる。以上のように、「表見証明」ないし「一応の推定」は、自由心証の原則と同じく訴訟法的性格を有するものであると解されるから、法廷地法たる日本法が準拠法となる。

二  争点2(合意の成否)について

1 被告が、原告に対し、一九八八年二月一二日及び同年六月三〇日、後記3の(一)の文言及び同4の(一)の文言のある一般要件の遵守を約束する確認書に署名したことは、当事者間に争いがない。したがって、まず、右署名により、原告と被告との間で「一般要件の履行を保証する」という内容の、契約としての拘束力のある合意が成立したことが認められる。

この点、被告は、右確認書に署名したのは、当時被告の大分工場技術部主務であった室行宏(以下「室」という。)であり、同人の職位は、課長補佐のさらに一階級下で、工場の現場における衛生管理者にすぎないとして、同人が署名したことが右合意の契約としての拘束力に影響を与えるかのように主張する。しかし、これらの署名が室の独断でなされたとの主張はなく、これに本件審理の過程において、被告は、一旦は被告自身が署名したものとして認めたなどの弁論の全趣旨を併せると、右確認書は、被告の意思に基づいて作成されたものと認めることができる。

2 次に、右合意によって履行が保証された「一般要件」の具体的内容であるが、ここで「一般要件」の文言の解釈、すなわち、一般要件の中に、原告が主張するような開示・通知義務が含まれるかどうかが問題となる。

(一) まず、前提として、本件一般要件は、原告が被告以外の会社との間の取引においても用いているものであり(争いがない)、一方当事者により多数の相手方に対して同一の契約条件が用いられる場合に当たるから、ドイツ一般取引条件法の適用対象となる「一般取引条件」に該当する。したがって、一般要件の解釈においては、一般取引条件法にも準拠することとなる。

そして、被告は、一般取引条件法五条に定める曖昧性の原則を根拠に、一般要件の解釈として、その中に原告の主張するような開示・通知義務は含まれないとする合理的解釈が存在するから、そうである以上、被告に不利益に拡大解釈することは許されないと主張する。

そこで、本件における同法五条の適用の可否が問題となるが、まず、同条の適用に先立って、個別の状況をも考慮した契約に関する伝統的な解釈手法を尽くす必要があるか否かについて、当事者間に争いがあるので、この点について判断する。

この点に関しては、一般取引条件法を考える限り、その性質上、個別事例の偶然の事情及び契約当事者の個別的な考えというものは、考慮事由とすることはできないと解される。しかしながら、客観的解釈の原則は、曖昧性の原則に優先すると考える。ここでいう客観的解釈とは、個別事情を離れて約款内容の客観的意味内容を探求すること、すなわち、この種の取引に通常関係するグループの利益を考慮に入れた上で、誠実な契約の相手方が行う典型的な理解を標準として、文言に基づく解釈を行うことである。そして、その解釈に当たっては、その経済的な目的、選択された表現方法などをも考慮することになる。

したがって、曖昧性の原則が適用されるのは、客観的解釈方法が尽くされた後に、なお複数の合理的解釈が残った場合に限られる。この意味では、曖昧性の原則は、条項の客観的解釈によって曖昧さが除去できない場合に初めて適用される補完的な解釈原則だといえる。

(二) 右立場を前提にみると、本件においては、一般要件を客観的に解釈した場合、その合意内容が原告主張の内容または被告主張の内容のものとして一義的に明確なのか、あるいは複数の合理的解釈が残るのかどうかが問題となる。

原告は、客観的解釈により、原告主張の合意内容であることが十分明確であり、「曖昧性の原則」を適用する余地はないと主張し、他方、被告は、前述のとおり、客観的解釈のもとで、原告主張の合意内容が含まれていないという理解が合理的な選択肢の一つとして残るのであるから、「曖昧性の原則」の適用があり、原告に不利に、被告に有利に解釈されなければならないと主張する。

まず、一般要件を客観的に解釈した場合にどのような合意内容として理解されるかを検討する前提として、一般取引条件の解釈に当たっては、「平均的受け手」の合理的理解内容が基準となるので、一般要件において平均的受け手とは、誰を指すかを検討する。

原告は、外国の製薬産業と取引を行う大企業である原料供給者であると主張するのに対し、被告は、日本の化学製品製造会社(製薬会社ではない)の法律的素養のない通常のビジネスマンであると主張する。

一般要件に典型的に関与するグループは、原告と取引を行う原材料供給者であることが一般要件の文言上明らかであるし、原告が製薬会社であることも、当然相手方は、認識して一般要件を締結するものと考えられることに照らせば、一般要件における平均的受け手とは、「製薬会社と取引を行う企業である原材料供給者」であると考えるべきである。

以上を前提に、以下、一般要件を客観的に解釈した場合に、どのような合意内容のものとして理解されるかを検討する。

3 開示義務について

(一) 一般要件第一文には、次の文言がある。

「フレゼニウスの供給者となり得るためには、供給者は、その初期物質、製造工程並びに加工過程及び最終段階において行われる管理の詳細をも含めた製品の品質保証書を提出することとする。」

原告は、明示の合意を主張するものであり、黙示の合意は主張していないので、問題は、もっぱら一般要件第一文の文言の客観的解釈の問題となる。

(1) 前提として、右「品質保証書」の提出の中には、一定の情報の開示義務が定められていると解する。この点、被告は、第一文においては、ドイツ語の“macht”や英語の“should”という義務的な意味合いがより弱い表現が使われており、契約としての拘束力のある合意と言えるかは疑問である旨主張する。しかし、品質保証書という表現をも考慮すると、一般要件の誠実な受け手の立場からすれば、右単語が単なる原告の希望や期待を意味するものと受け取られるとは思われず、一般要件第一文は、原材料供給者の義務を定めたものと理解すべきである。

(2) また、開示義務の課される時期的問題について、被告は、一般要件第一文の文言上、開示が問題となるのは、供給者としての資格を最初に認められて供給を開始するときに限るというのが通常の読み方であると主張する。そうすると、一般要件の締結時に既に原告の供給者となっていた被告については、何ら右開示義務は問題とならないことになる。

確かに、一般要件第一文で、取引開始時の義務を定め、その後の変更については、一般要件第二文において規定されていると理解することも可能である。しかし、本件の場合も含め、取引開始の後に、一般要件を遵守する旨を初めて約したような場合には、一般要件を最初に遵守する旨約束した時点を問題としないと、一般要件第一文の意味が全くなくなってしまい妥当でない。

この意味で、一般要件第一文は、取引開始後に一般要件を締結した場合には、一般要件締結時に開示義務が課される旨規定しているものと解される。すなわち、本件では、一般要件の確認書に初めて署名しているのは、ストレイン[4]の導入後の一九八八年二月一二日であるから、その時点において開示義務を負うことになったものというべきである。

(3) さらに、被告は、従来からの取引先については、従来からの取引先である受け手の理解を基準にすべきだと主張する。すなわち、既に供給者になっている場合には、従来までの資料とは異なる資料を新たに提出する義務を課すものではないと主張する。しかし、この主張は、一般要件の受け手を従来からの取引先とそうでない者とに分断するものであり、ある意味で個別事情を考慮に入れるものであって、文言の客観的解釈とは相容れないものであって、妥当でない。

以上の理解を前提に、一般要件第一文の定める開示義務の対象に「遺伝子工学使用の事実」が含まれるかを検討する。

(二) 一般要件第一文は、「製造工程……の詳細をも含めた製品の品質保証書を提出することとする」と規定しているから、製造工程の開示義務を定めたものと解することができる。しかし、右第一文には、「遺伝子工学の使用の事実を開示する」といった文言は存在しない。そこで、右開示義務の対象となる「製造工程」の中に「遺伝子工学使用の事実」も含まれるかが問題となる。

開示義務の対象となるLTの「製造工程」が何を意味するかは、一義的には明らかではない(この点については原告自身も認めるところである。)。遺伝子工学使用の事実が、広い意味で製造工程に含まれることには、おそらく争いはないものと思われるが、右第一文にいう「製造工程」がおよそあらゆる製造工程におけるプロセスを意味しており、微細な点まで含めてそれらを全て開示すべく要求していると解することは、取引の相手方に過大な負担・不利益を負わせるもので妥当でなく、原告の方においても、そこまで要求しているものとは解されない。

そこで、右第一文の解釈において、広義の意味での「製造工程」のうち、どの範囲のものについて開示義務があると解されるかであるが、この点、被告は、被告が原告に開示した製造工程表等の資料に記載された製造工程以上のものを開示する義務はなく、その証拠に原告からそれ以上の質問は受けていないと主張する。

(三) この点の解釈に関し、シュレヒトリームは、一九八八年当時のドイツの医薬品製造業における遺伝子工学の使用の実態が極めて重要な意味を持つ旨述べている。一方、シュテファンも、遺伝子工学の使用の事実が、無条件で開示義務の対象に含まれると述べているわけではなく、当時のドイツにとって、新しく標準的でない技術であり、ドイツの医薬品製造業者にとって意外であったに違いない場合に限って、含まれると述べている。

そこで、以下、当時のドイツの医薬品製造業者にとって、遺伝子工学の利用が、新規で意外であったかを検討する。

一九八八年当時、ドイツ国内において、LTを含むアミノ酸の製造に遺伝子工学を利用した技術が広範に用いられていたことを認めるに足りる証拠はない。しかし、《証拠略》によれば、以下の事実が認められる。

(1) 一九八八年当時、日本においては、医薬品その他人間が摂取する製品の原料としてのLTその他のアミノ酸の製造において、遺伝子工学を利用することは、既に製薬業界等においては、市場・産業の動向ないしはバイオ研究開発の動向として明らかにされている事実であり、未曽有の技術でもなく、関連業者に意外なものとして受けとられるものではなかった。

例えば、<1>原告への原材料供給者であり、被告の競争相手でもある三井東圧化学(以下「三井東圧」という。)の当時のパンフレットには、「当社は、組換えDNA技術を駆使した、微生物酵素により、L-トリプトファン、L-フェニルアラニン、など種々の必須アミノ酸を製造しています。」とあり、LTの用途として、「栄養補助剤、食品添加物、飼料添加物」を挙げ、飼料用にとどまらず、人間が摂取する製品用のLTの製造にも遺伝子工学を使用していることが明記されている。また、<2>一九八七年発行の「日経バイオ年鑑87/88」二五二頁の表「遺伝子組換えによるトリプトファンの生産」には、日本の七社及び英国の一社が既に遺伝子工学を利用したLTの生産を行い、あるいは生産を予定していることが記載されており、例えば、三井東圧の欄には「セルフクローニングにより大腸菌のトリプトファンの合成遺伝子を強化した。インドールとDLセリンよりトリプトファンを生産する。83年に商品化。」との記載がある。同頁には、被告が遺伝子組換え技術を使用した飼料級LTを一九八八年春にも発売予定である旨の記載もある。

(2) そして、右のように、当時、日本の各社がLT製造に遺伝子工学を利用していた事実は、国内にのみ閉ざされた情報ではなく、例えば、マクグロウヒル社の「バイオテクノロジー・ニュース・ウォッチ」などの海外で入手可能な文献によっても公表されていた。

(3) 一九八二年の世界保健機構(WHO)の作業部会による医薬品を含む消費者向けないし産業用製品へのバイオテクノロジーの適用状況に関する調査報告も、既に、アミノ酸を含む様々な製品における遺伝子工学の使用について論じている。とりわけ、日本において遺伝子工学の利用が進んでいたことについては、通商産業省が一九八一年に遺伝子工学の利用を様々な分野で推進する方針を明らかにして以来、広く世界中の注目を集めていたのである。

(4) また、被告の一九八八年度英語版年次報告書でも、被告によるLTを含むアミノ酸製造に関する遺伝子工学の利用について言及している。

(5) さらに、一九八六年当時、米国においては、遺伝子工学を利用した医薬品が既に一二五件以上も治験薬としての承認を取得していた。

右事実によれば、一九八八年当時、遺伝子工学を利用して製造された医薬品(LTを含む)の商業化は、少なくとも米国及び日本において、急速に広がり、右事実は、各種報道機関による報道、各種文献、新しい生物工学を分析した諸会議等を通して、少なくともドイツを含む先進国には広く知られていたというべきである。

この点、原告は、当時、少なくともドイツにおいては、医薬品を含めて、人間が消費する製品に関する遺伝子工学の利用とその危険性については、非常な議論の的になっていたし、遺伝子工学の利用により製造された物質として、ドイツにおける販売許可がされていたのは、インシュリンやインターフェロン等の遺伝子工学の利用なくしては十分な製造ができないものに限られていたので、LTのように遺伝子工学を利用しない別の方法で容易に製造しうる物質の製造に関して遺伝子工学を利用することは、一般には知られていなかった旨主張する。

確かに、右認定によれば、遺伝子工学利用に関する研究開発については、ドイツに比較して、はるかに日本が進んでいたものであることが窺われ、医薬品における遺伝子工学の利用に対するドイツの製薬会社の認識が日本の製薬会社の認識と同レベルのものであると断じることはできない。

しかしながら、原告が、医薬品の原材料購入のため、被告を含む複数の日本の化学製品製造業者を相手方として、国際的取引を行う大企業であること(争いがない)、そもそもアミノ酸の製造、とりわけ発酵法による製造は、日本企業が従来から圧倒的な市場シェアを世界で占めてきたものであることに鑑みれば、製薬業界等におけるバイオ研究開発の動向、特に取引相手である日本企業の動向、技術水準などについて、原告は、当然認識していたものというべきものである。したがって、ドイツ国内においてLTを含むアミノ酸の製造に遺伝子工学を利用した技術が用いられていたことを窺わせるに足りる証拠がないからといって、直ちに当時のドイツの医薬品製造業者にとって、遺伝子工学の利用が新規で意外であったことにはならない。

(四) さらに、原告は、当時のドイツの医薬品製造業者にとって、遺伝子工学の利用が新規で意外であった根拠として、ドイツにおける薬事法規制を挙げるので、以下、この点について検討する。

《証拠略》によれば、以下の事実が認められる。

(1) ドイツ連邦保健局(BGA)は、一九八七年六月二六日付けの「医薬品の許可及び登録に関する公告」と題する通達(以下「八七BGA通達」という。)により、一九八七年七月一日をもって八七/二二EC指令をドイツ国内で実施に移し、この通達は、一九九五年一月まで効力を有した。

(2) BGAからフライブルク検察庁に宛てた一九九一年三月五日付け回答書によると、「第四次薬事法改正法の発効前の連邦保健局(BGA)は、医薬品安全上の理由により、遺伝子工学的な製法の変更にあたっては、有効成分の同一性が変わる可能性があるため、薬事法第二九条第三項第一号に従って、新規の承認(認可)が必要である、との見解にたって」いたとあり、ドイツにおいては、薬事法第四次改正前には、医薬品の製造に遺伝子工学を導入した場合のみならず変更の場合も、二九条三項一号の認可手続がとられていた、とされている。

(3) また、シュトレーターが行った一九九五年六月二六日付けドイツ医薬品局(BfArM)宛の照会及びBfArMからの一九九五年七月二五日付け回答書では、BGAの実務の運用は、次のとおりと説明されている。

BGAは、八七BGA通達により、一九八七年六月以降、八七/二二EC指令に定める要件に基づき、許可申請案件を取り扱ってきた。すなわち、BGAは、医薬品メーカーに対し、八七/二二EC指令のリストA(「DNA組み換え技術」)で定める遺伝子工学により製造された医薬品のドイツ国内での販売に際しては、八七/二二EC指令に基づく共同体手続を履行するよう常に指示し、新たな販売許可を取得するように要請してきた。また、八七/二二EC指令に基づいて認可された医薬品の認可内容に何らかの変更がある場合、その変更もやはり同指令の定める手続の対象になった。

(4) 被告が行った遺伝子操作が右リストA(「DNA組み換え技術」)に該当するかの点について、ホーボムは、ストレイン[2]~[4]までは、セルフクローニングといわれる手法(DNA供与体として用いられる生物が宿主として用いられる生物と分類学上同一の種に属する場合)であり、該当しないが、ストレイン[5]への変更は、異種のDNAを使用しており、種の境界を越えたDNAクローニングであるから、該当する旨の意見も述べており、また、欧州委員会第三総局の責任者たる法律家フィリップ・ブリュネも、被告が行った遺伝子操作が右リストAに該当することを認めている。

(5) しかしながら、他方で、BfArMがシュトゥットガルト上級裁判所へ宛てた一九九四年一二月二二日付け回答書によると、BfArMは、被告によるLT生成菌株の遺伝子的操作が、八七/二二EC指令の下で、遺伝子工学的製法に分類されることを認めながらも(質問3)、BGA時代の薬事法の解釈については、LT(二〇四モル)のような単純な分子構造のものに遺伝子工学を使用した場合と、蛋白質のように高分子(約二千モル以上)のものに使用した場合とは同列に考えることはできず、前者の場合には認可は必要でなく、製法の変更に当たるものとして届出の義務があった、としている(質問11~16)。すなわち、BfArMは、アミノ酸のような単純な分子構造のものと、蛋白質のような複雑な分子構造のものとを区別して、前者の場合は届出(二九条一項一文)、後者の場合は新規認可(二九条三項一号)がそれぞれ必要であるとする解釈を示したのである。

(6) さらに、レップルがBfArMに対して行った一九九五年一〇月一八日付け照会に対する同年一一月一四日付け回答書によると、次のとおりの内容が確認されている。

<1> ドイツ薬事法第四次改正の施行前(一九九〇年四月一日前)においては、インシュリン、インターフェロン等の複合蛋白製剤を除き、遺伝子工学による製造方法の導入または遺伝子工学による製造方法の変更の結果として、従前許可された医薬品について新たな免許(許可)を要求すべき何らの法的義務も一般方針も存在しない。

<2> 八七/二二EC指令も八七BGA通達も、既に許可された医薬品についての遺伝子工学による製造方法の導入または変更に関連して、新たな許可を取得しなければならないか否かについては何も規定していない。

<3> ドイツ薬事法第四次改正後においては、既に許可された医薬品の遺伝子工学による製造方法の変更は、同法第二九条二項a4に従い、通知のみが必要とされ、所管当局が三か月以内にこれに対する異議を申立てない限り、承認されたものとみなされる。既に許可された医薬品の製造工程に初めて遺伝子工学を導入する場合には、かかる医薬品に新しい免許の取得が要求されている(同法第二九条三項3a)。

このように見てくると、BGAないしはBfArMからの複数の回答は、一見、相互に矛盾しているように思われるので、これらの書面をいかに解するかが問題となる。

まず、この点に関連して、被告は、通達によって製薬業者の既得権を侵害することはできないから、一九九〇年のドイツ薬事法の第四次改正まで、八七/二二EC指令は、ドイツ国内には直接的な効力はなかった旨主張するが、ここで問題となるのは、八七/二二EC指令の国内的効力の有無というよりも、当時、BGAが実務上、八七/二二EC指令に定める共同体手続を各製薬会社に要求したか否かという点なのであるから、被告の主張は妥当でない。

確かに、原告が指摘するように、BGAは、第四次薬事法改正前に、アミノ酸のような単純な分子構造の医薬品に対して遺伝子工学を利用した場合に薬事法がどのように適用されるかについて判断したことがなかった。しかしながら、これをもって、右の二分法が、BfArMが後の段階になって示した後付けの解釈だとして採用できないとは言い切れない。当時、BGAが本件に該当するような具体的案件を扱ったことがないということは、本件のような案件において、新規認可を要求し、共同体手続を履践させたことがなかったことを意味するからである。そして、最新の段階において、BfArMが、アミノ酸のような単純な分子構造のものについては、新規認可は不要であるとの解釈を明言していることに鑑みれば、結論としては、その見解が最も信頼できるものとして、当時、新規認可は不要であったと考えざるを得ない。

しかしながら、右見解を前提としても、届出は必要だったということになる。そこで、届出の場合も八七/二二EC指令のもとでの共同体手続が必要か否かを検討する。

原告は、届出の場合にも、共同体手続は必要であり、同手続は、時間と労力を要する煩雑な手続であることを強調する。しかし、その根拠とするBfArMの回答書第四項は、八七/二二EC指令に基づいて認可された医薬品の認可内容に変更があった場合であって、本件LTのようにもともと八七/二二EC指令に基づく認可がなされていなかったものについては当てはまらない。そして、原告の主張に沿う意見書を提出しているシュトレーター自身、その証言の中で、アミノ酸その他簡単な物質について「多量の書類の提出を求められた実例」に関与したことはないのであって、LTについては「巨大分子の例から推論して」いるだけであることを認めているのである。

したがって、仮に届出が必要であったとしても、原告が主張するような時間と労力を要する煩雑な手続が要求されていることを認めるに足りる証拠はない。

そして、以上の証拠関係のもとにおいて検討するに、ドイツにおける薬事法規制として届出が必要であったとしても、現実には、当時のBGAは、本件のような案件を取り扱った経験はないのであり、BGAの右見解もEMS発生の後に、事後的に表明されたものにすぎない。また、原告を含む当時のドイツの製薬会社が、「遺伝子工学使用の事実」が届出の必要性を判断するために重要な情報であるという認識を有していたのであれば、むしろ一般要件の中で明示的に開示を要求すべきところ、一般要件に明示されていないということは、ドイツの製薬会社が右のような認識を持っていなかったことを窺わせる。これに、届出の場合は、時間と労力を要する煩雑な手続が要求されていたとは言えないことを併せ考えると、やはり、ドイツにおける薬事法規制の実状を理由として、原告主張のような開示義務を導き出すことはできないといわざるを得ない。

(五) さらに加えて、《証拠略》によれば、次の事実も認めることができる。

(1) 当時、遺伝子工学について激しい議論が行われていたのは、インシュリン等の分子構造の複雑な高分子蛋白質(遺伝子工学の使用により、最終製品の分子構造が変わりうる)に関するものであり、LTのような分子構造が単純なアミノ酸については、その製造に用いる菌の改良のために、遺伝子工学を用いることに関して危険性を指摘し、あるいはその安全性に疑問を呈するような議論はなされていなかった。

(2) 原告への原材料供給者である三井東圧は、当時、やはりLT製造に遺伝子工学を使用していたが、同社も遺伝子工学使用の事実を開示していなかった。

(3) 原告は、一般要件を被告以外の他のLT原料メーカーに対しても等しく適用していたが、LT製造に用いる微生物を突然変異を用いて開発したとの通知を受けたことはなかった。すなわち、「平均的受け手」は、突然変異を用いることは、一般要件に定める開示義務の範囲に当たるとは理解していなかった。

右事実によれば、「平均的受け手」の理解としては、むしろ「遺伝子工学使用の事実」は、一般要件の開示義務に含まれていないとの解釈の方が、合理的であると解される。

(六) 他方で、確かに、《証拠略》によれば、当時のドイツの医薬品製造業者にとって、遺伝子工学の利用が、新規で意外であったことを窺わせる以下の事実が認められる。

(1) 前述のとおり、BGAは、一九八八年当時、LTを初めとする必須アミノ酸の製造に遺伝子工学を利用する場合に、どのような規制をなすべきかという問題を具体的に取り扱ったことはなかった。

(2) ASB社も、被告に対し、遺伝子工学使用の有無については、ピークD問題の最中もそれ以後も何らの問合せもしていなかった。

(3) 被告自身が原告に対して本件の遺伝子操作等について具体的に開示したのは、秘密保持契約を結んだ後の一九九〇年四月三〇日付けファックスが初めてであった。

しかしながら、前記(三)及び(四)で認定した事実に照らすと、右の各事実から原告主張の事実を推認することはできない。

(七) さらに、一九八八年当時のドイツにおいて、医薬品原材料としてのLTの製造に遺伝子工学を利用することが新規かつ意外であった旨の原告主張に沿うものとして、原告従業員の陳述書及びドイツにおいてLTを販売していた原告以外の医薬品製造業者二社の従業員作成のレター(アルディファーム社のユルゲン・マリンカのレター、ヴィート・グループの薬事法関連規制の責任者であるカストルプのレターが存在するが、いずれも自ら見聞した具体的事実についての記憶に基づく叙述ではなく、作成者らが事後的に振り返って当時の仮定的事象についての意見を述べたものであり、その内容は、抽象的なもので具体的裏付けがなく、むしろ前記認定の事実からすると、矛盾するとも思われる結論を導いており、信用できない。

ヴァイドラーも、原告は、一九八八年当時、遺伝子工学を使わなくても十分に作られる可能性のある原料については、遺伝子工学を使ったものは購入しないというポリシーがあったとして、原告の主張に沿う証言をするが、一方でそのようなポリシーについて被告や他の原料メーカーに伝えなかったことを認めており、このような事実に照らせば、右証言も、にわかに信用することはできない。

また、原告が自ら作成した一般要件に遺伝子工学に関する記載が全くない(争いがない)ことに照らすと、「原告は、当時、遺伝子工学をLTの製造に使用した場合、医薬品認可の関係で非常に時間のかかる手続きが必要となることを認識しており、かつ、遺伝子工学の利用の安全性等について、非常な議論があることも認識していた」との原告の主張も採用できない。

さらに、原告は、原告従業員リヒターが行った文献調査によると、問題となる期間に遺伝子工学的手法ないし組換えDNA技術が少数の例外を除き、医薬品ないしはその原材料に一般的に利用されていたことを明示するものはなかったと主張する。しかし、一方でロドリックスの文献調査(乙五五)によると、三つのデータベースを使用して、「遺伝子/組換え・工学・操作」及び「薬」「医薬品」「食品」の双方で検出される一九八八年末までの文献は三万件以上あり、さらにその中で「商業的」「製品」ないし「大量(生産)」という言葉を含むものに絞ってもなお、一二〇〇件以上の文献が検出されたというのであるから、原告の右主張を直ちに採用することはできない。

(八) 以上、要するに、当時のドイツにおいてLTを含むアミノ酸の製造に遺伝子工学を利用することは、原告のような製薬会社にとって既知の事実であり意外と受けとられる技術ではなかったこと、当時のドイツにおける薬事法規制としても新規の認可まで要求していなかったこと、当時原告と一般要件を締結していた被告以外のLT原料メーカーも、原告に対して、LT製造に用いる微生物について遺伝子工学を利用していることや微生物の突然変異を利用して開発していることを開示していなかったことなどからすれば、「平均的受け手」の理解として、遺伝子工学使用の事実が、一般要件に明示的に示されずとも当然に開示すべき重要な情報であるとの認識があったとは推認できず、本件においては、一般要件の定める開示義務の対象となる「製造工程」の中に「遺伝子工学使用の事実」は含まれないとする被告主張の限定的解釈が、むしろ客観的解釈として合理的であると解される。

したがって、一般要件は、遺伝子工学使用の事実を開示する義務を含んでおらず、被告には、右のような義務はないと考えるのが相当である。

4 通知義務について

(一) 一般要件第二文には、次の文言がある。

「供給者は、製品の品質に関係する全ての製造工程における変更をフレゼニウスに通知することに合意する。」

右文言に関し、原告は、「製品の品質に関係する全ての製造工程における変更」とあり、右文言の解釈において疑義の生じることはあり得ない、一般要件の趣旨からして菌株等の変更が含まれることは当然であって、そもそも原告が指定した規格から外れるような製品は、契約条件を満足しないものであり問題外であると主張する。これに対し、被告は、原告に提供した製造工程表及びその説明書に変更がある場合で、かつ、規格書に定める品質に影響が及び得る場合にのみ通知義務が発生するとの解釈が合理的解釈として存在すると主張する。

確かに、右文言においては「全ての製造工程」と言っているので、菌株等の変更は、広く製造工程に含まれるとも考えられる一方で、右一般要件には、「菌株のストレインの変更を通知する」とか「粉末活性炭の使用量の変動を通知する」といった文言が明示的には存在しないので、その客観的解釈を考えるに、原告主張の内容として明確かつ一義的なのかが問題となる。

そこで、「平均的受け手」の理解を基準に、以下、検討する。

(二) まず、以下の事実は、当事者間に争いがない。

(1) 一般要件と確認書の文言は、原告によって起草されたものであって、右文書は、原告に対する多数の供給者向けに使用されていたものであった。右文書の文言について、原告と被告との間では、交渉はおろか何らの話合いもされなかった。

(2) 原告は、一般要件を被告以外の他のLT原料メーカーに対しても等しく適用していたが、LT製造に用いる微生物を突然変異を用いて開発しているとの通知を受けたことはなかった。

(3) 被告の菌株のストレインの変更及び粒状活性炭塔の設置は、一般要件の締結以前から行われていた。

(4) 原告は、製造工程表及びその説明書以外に製造工程についての説明や追加資料を求めることをしなかった。

(5) 被告のLT製造が「微生物細胞」を用いた発酵法による製造であるとの開示を受けていたのに、原告は、被告に対し、発酵に用いる菌の種類や入手・開発方法について問い合わせることを一切しなかった。

(6) 精製工程において使用する活性炭の量についても、右製造工程表・説明文のどこにも用いるべき活性炭の量の表示はおろか、そもそも活性炭により精製を行うとの記述すらなかったが、原告は、被告に対し、いかなる精製工程を経るのかについて、何ら問合せをしなかった。

なお、この点、原告は、製造工程表及びその説明書以外に製造工程についての説明や追加資料を求めることをしなかったこと、発酵に用いる菌の種類や入手・開発方法について問い合わせることをしなかったことの理由として、そもそも遺伝子工学の利用が新規で意外であったのであり、被告の開示を受けずして遺伝子工学の利用の事実自体を知り得ないことを挙げるが、右の主張は、前記認定のとおり、採用できない。

(三) そして、一般要件を最初に締結した一九八八年二月ころの状況をみるに、《証拠略》によれば、以下の事実が認められる。

(1) 前記認定のとおり、LTの製造に遺伝子工学を用いること自体は、既に日本のみならずドイツにおいても、製薬業界に属する企業にとっては、広く知られた事実であった。

(2) 当時、遺伝子工学の使用により改良した菌株を用いて製造されたLTが健康に対する危険をもたらすとの具体的な嫌疑はなかった。

また、原告は、本件一般要件の遵守を最初に約した一九八八年二月よりも三年以上も前から既に遺伝子工学を利用して改良した菌株を用いて製造された被告製LTを継続的に購入していたが、それまで本件当事者間においても、安全性を疑わせるような具体的な問題は発生していなかった。

(3) 当時、被告の実施した遺伝子の組み換えの目的及び効果は、菌の種類を変更することではなく、同一の菌について、LTないしその副材料を生成する酵素を作る遺伝子を増強するに過ぎないものであり、また、菌株自体は最終製品に残らないものであるから、それによって、新規な有害物質が生成されることは誰も予測していなかった。

また、ストレイン[4]までは、遺伝子工学の内容も全てセルフクローニングにすぎず、製品の規格や安全性に影響があるとは考えられていなかった。

(4) 活性炭を投入する主たる目的は、原告の主張するように不純物を除去する点のみに存するわけではなく、LTの白色度を増す点にも存するのであり、加えて、LTの製造に用いられる活性炭の量を変更することにより、不純物の量に変化は生ずるものの、この変化はごく微量なものに過ぎないと考えられ、本件規格書に記載されたLTの規格にも影響を与えるものではなかった。

(四) 右事実及び前記(二)の争いのない事実(当時、原告が、実際にどの程度「製造工程の詳細」や「製造に用いる菌株」に関心を示していたのかを窺わせる状況事実)に鑑みると、ピークD問題以前については、原告が、既に被告から開示を受けた内容より詳細な情報を要求していなかったことからも、原告は、現実に開示された情報で満足しており、一方、被告もそれで必要かつ十分な情報を原告に提供したと認識していたことが窺われ、原告及び被告は、LT生成菌株や精製工程の変更が、LTの「品質に影響を与える」といった問題意識を持っていなかった、すなわち右変更が一般要件の通知義務の範囲に含まれるかどうかといった問題が、当事者間において、そもそも顕在化する機会がなかったといえる。

(五) しかし、後記証拠によれば、その後、一九八八年七月以降に起きたピークD問題を契機として、菌株の変更が、LTの「品質に影響を与える」ことが明らかとなり、被告において、右事実を認識するに至っていることが認められるのであるから、少なくとも右時点以降の右菌株の変更は、一般要件の通知義務に含まれると解すべきである。

すなわち、《証拠略》によれば、次の事実が認められる。

(1) 一九八八年七月、被告製LTの供給を受けていたASB社は、被告製LT(ストレイン[3])の中に、後にピークDと呼ばれる不純物が含まれていることを発見し、その旨を被告に指摘した。このピークDなる不純物は、被告以外の者が製造したLTには見られないものであった。そのため、ASB社は、被告製LTの直接の売主であるSHRに対し、被告とも場合によっては相談のうえ、<1>不純物は何であるか、<2>不純物混入の度合いはどのくらいか、<3>不純物はなぜ生じたのか、<4>分析証明書によれば、この点についての検査がなされているにもかかわらず、なぜ右不純物について被告が気づかなかったのかについて回答することを求めた。そして、右不純物について最終的な解明がなされるまで、代金の支払を停止する旨通告した。

(2) ASB社からの指摘を受けた被告は、直ちにLTの検査を行った。被告による当初の検査結果をまとめた被告の室作成の一九八八年八月一日付けの報告書には、不純物が何であるか、またその正確な含有率は不明としながらも、ある不純物が認められた場合、それが毒性のあるものかどうかを確認するのは一般的に難しく、また気にするのは神経質である旨の記述がある。

(3) さらにその後も、被告自身及び外部の研究機関によりピークDに関する分析が行われたが、ピークDの同定は、依然としてできなかった。このような被告の対応に、ASB社は、納得せず、新しい注文を出す前に不純物の性質が解明されることを強く望んでいることを伝えた。特に、一九八八年一〇月一五日付けのSDEから被告宛の書簡には、ASB社がこれまで被告の説明に納得していないことを伝えた後、その末尾に「“被告は、バルク・ケミカルの会社(注‥大量の化学製品を製造する会社)だから、詳しいテストはしていないだろうが、医薬品の用途は、一つ一つの製品について詳細な研究が必要”と痛いところをついています。」との記載がある。

(4) その後もピークDの同定のための分析は続けられたが、成功するには至らず、とりあえず被告の室が一九八八年一〇月三一日付けで報告書をまとめ、これに基づいて、被告は、一九八八年一一月八日付けで、SDEに対し、ピークDに関する中間報告書を送付した。

なお、ピークD問題に対する被告の対応の途中経過を記した被告の室作成の一九八八年一〇月二五日及び同年一一月二〇日付けのメモによれば、不純物の除去は、精製工程の変更(活性炭の負荷を上げること)によっても可能だが、そうするとLTのロスが大きくなる(生産効率が下がる)との指摘がある。

(5) さらに、被告は、一九八八年一一月二九日、社内会議を行い、ASB社のクレームへの対応を協議した。右会議においては、LTの不純物を除去する方法として決め手となるものが見つかっていないこと、不純物を同定し、毒性がないことを証明するのは一般に難しいことなどを確認したうえで、ワン・スポット(LTを示すスポットだけで、不純物を示す他のスポットが現われていないLTのこと)にすることが実際的である旨の話がされ、大分工場としての検討課題として、精製工程の変更による不純物の除去、新菌候補を含めて菌による不純物の生成量の差、コストアップ等の事項の確認を行うことが決定された。

(6) 以上のような検討結果をふまえ、ピークDの除去は、現実には、ストレイン[5]の採用によって行われた。ピークDの除去は、活性炭の負荷を上げるという精製工程の変更によっても可能であったが、右方法によるとLTの生産量が著しく減少してしまうため、右方法は選択されなかった。

具体的には、被告は、一九八八年一一月、同年九月にも二週間ほど使用したことのあるストレイン[4]を使ってみたところ、LTの生産量は一〇から二〇パーセント増産となったが、ピークDは消えなかった。そこで、被告は、同年一二月末、さらにストレイン[5]に変更したところ、LTの生産性が倍増したうえに、ピークDが消えたのである(実際には、少量残っていたことが後に確認されている。)。

(7) しかしながら、被告は、ASB社に対しては、ストレインの変更ではなく、精製工程の変更によりピークDを除去したかのような説明をした。最終報告書では、「精製工程を変更して、薄層クロマトグラフィー(TCL)によって証明されたワン・スポット製品を恒常的に製造することが、現在は可能である。」との説明がなされている。

右説明が事実と異なることは、一九八九年二月二日付けのSDEのジンゼンジから被告の伊吹に対するファックスで、従来のプロセスに対して、どのような変更を加えたのかを説明する書面を求めたのに対し、伊吹は、一九八九年二月九日付けのジンゼンジに対する返信において、<1>ワン・スポット品の製造のために精製工程に若干の工夫を加えたような最終報告書を作成したのは、このような説明が最も無難であるとの理由からであること、<2>過去のデータ、保存サンプル等から発酵の菌の種類によって2スポット品(LT以外の不純物を示すスポットがあるLTのこと)が出ることが判明したが、外部に公表する性格のものではないので、あえて精製工程の変更としたことを述べていることからも窺われる。

(8) 被告は、右のとおり、一九八八年七月から約六か月にわたり、ピークDに関するASB社の対応に追われており、前記最終報告書の提出により、本件が一件落着することを願っていた。

しかし、一方で、被告は、ピークD問題を通じて、検出条件によっては、自らの製品に他社のLTと比べて多くの不純物が含まれていること、さらに、ストレイン[5]導入後のHPLC分析でも「当社製品の不純物は他社と比較して明らかに多い」ことを確認していたのである。

そして、ピークD問題によって、菌株の変更が不純物の量及び種類に変化をもたらす可能性があることを、被告従業員らも認めざるを得なくなった。そして、室の作成したレポートには、微生物発酵法という製法のゆえに「多種多様な物質が、極く微量含まれる可能性がある」との記載があり、一九八九年一月一〇日付けの被告従業員の葛西の社内メモには、「欧州は品質問題が発生した。事前チェックは菌の変わった時に慎重に行うことが必要。」との指摘がある。

(9) さらに、被告が行ったストレイン[2]から[4]までの改良は、セルフ・クローニング(DNA供与体として用いられる生物が、宿主として用いられる生物と分類学上同一の種に属する場合)であったのに対し、ストレイン[5]への変更は、異種のDNAを使用しており、種の境界を超えたDNAクローニングであり、セルフ・クローニングの範疇には含まれないものであった。

そして、通商産業省のガイドラインは、ストレインの変更ごとに確認申請を求めることを要求しており、被告は、ストレイン[5]への変更について、一九八九年一月一八日付けで通商産業省に対し、確認申請を行った。

(六) 右の事実からも明らかなとおり、ストレイン[3]からピークDなる不純物が発見され、ストレイン[5]への変更により、右不純物が消失したのであって、被告は、ストレインの変更がLTの含有する不純物の内容や量に影響を与えること、言い換えれば、他方で他の不純物を増加させる可能性も否定できないことを十分認識していたというべきである。

このようにストレインの変更が被告製LT中に含まれる不純物に対して影響を与えるものである以上、右変更が「LTの品質に影響を及ぼす」製造工程の変更に当たることは明白である。むしろ、被告は、ピークDを除去するためにストレインの変更を行ったことを考えれば、むしろ、「LTの品質に影響を及ぼすべく」これらの変更を実施したとさえいえるのである。

(七) そもそも一般要件の通知義務の及ぶ「変更」の範囲については、<1>「製品の品質に関係する」、<2>「製造工程における」変更であることが要件となるが、その解釈にあたっては、一般要件の目的も考慮し、<2>よりもむしろ、<1>の品質の点に主眼があると解すべきである。

すなわち、一般要件の目的については、原告から被告への一九八八年五月三日付け書簡において明示的に伝えられているが、右書簡には、原告が製造業者として、製品の品質に関して国内外の当局による益々厳しい要求に直面していること、原告が必要としているLTの製造・分離工程についての情報が「不純物や溶解残留物等の特性や量を明らかにするのに適切であることを証明するためのもの」であることが明記されているのである。

とすれば、<1>の品質の要件は、製造工程の範囲を右目的に必要な合理的範囲に限定するために設けられているものと考えるのが相当である。

そうすると、ピークD問題を契機として、菌株の変更が、LTの「品質に影響を与える」ことが明らかとなった状況において、「平均的受け手」を基準に判断した場合、一般要件の客観的解釈としては、ストレイン[5]への変更は、通知義務の対象となると解釈するのが合理的である。

(八) これに対し、被告は、ストレイン[5]への菌株の変更は、生産性の向上という目的のために行われたものであって、右変更に伴いピークDが事実上消滅したに過ぎないと主張する。しかしながら、被告の室は、米国訴訟における証言録取の手続の中で「私は、(不純物の)大きな減少は菌株の変更のためであると考えました。」と証言し、ピークDの減少が主としてストレイン[5]への変更によってもたらされたことを認めている。また、被告の土屋も、同様に米国訴訟の証言録取の手続の中で、ASB社に送られたワン・スポットのLTの製造は、結局精製工程を変更せずに行ったこと(すなわち、ストレイン[5]を利用することにより行ったこと)を認めているのであって、被告の右主張は採用できない。

そして、ストレインの変更がピークDとは何ら関係がないと主張する被告の態度は、真実を伝えることにより更なる安全性の再確認等の手間がかかることを回避し、営利を優先してきたことを強く推認させるものである。そして、右推認を裏付ける事実として、次の事実が挙げられる。すなわち、被告は、ASB社に対し、被告製LTの安全性について、この不純物が含まれていた飼料用グレードのLTが動物試験をパスしていることから毒性がないと説明したが、被告が動物実験をもって確認したLTは、ストレイン[2]及び[4]によって製造されたものであって、ストレイン[5]により製造されたLTについては、ストレイン[2]及び[4]とは異なりセルフ・クローニングではないにもかかわらず、安全性確認のための動物実験がなされていなかったのである。ここにも被告の安全性に対する配慮の甘さが見受けられる。

付言するに、被告自身、真実は一般要件にいうところの「製造工程の変更」に該当することを意識していたことが窺われる。すなわち、SDEの従業員ジンゼンジから原告への通信には、「当社の製造工程には過去重要でない変更がありました。しかし、最終製品であるL-トリプトファンの品質に影響を及ぼす程度ではありませんでした。」とあり、また、鳥越から原告への書簡には、「上述した以外に過去五年間何ら重要な変更は行われなかった。」とあるように、被告のストレインの変更が「重要でない変更」であって、一般要件にいう「製造工程の変更」には当たらないと説明することに苦心していることが窺われるのである。

また、被告は、製品に悪影響のない変更は通知義務の対象にならないと主張するが、一般要件には「品質に関係する」とあり、毒性等の有無により区別していないし、原告が主張するとおり、当該変更が最終製品にどのような影響を及ぼすかを最終的に判断し得るのは、医薬品製造業者(原告)であり、原材料供給者(被告)ではないから、被告の右主張は採用できない。

5 以上のとおりであるから、製品の品質を重視している一般要件の趣旨、ピークD問題を通じて菌株の変更が品質に影響を及ぼすことが明らかとなったこと、遺伝子工学的にみても、ストレイン[5]が従来のセルフ・クローニングの枠を超えた新しい方法であったことなどを総合すると、ストレイン[5]への変更によって不純物の内容や量に変化が生じる可能性があることを否定できない状態に立ち至ったのであるから、新菌株の安全性をチェックする機会を確保するためにも、被告は、原告に対し、右菌株の変更を通知すべきであり、これは、一般要件の遵守を約したことによって導かれる被告の契約上の義務であると解すべきである。

6 このように被告に通知義務があるとして、当時、被告が原告に対して具体的にどの程度の情報を通知することが一般要件上の義務として課されていたかを検討するに、一般要件は、文言上「製造工程における変更を通知する」とのみ記載され、その主眼とするところは、原告が自己の責任において製品の安全性を確認することを前提に、その注意を喚起し、検査の機会を与えることにあると思われる。

とするならば、被告としては、「発酵工程において使用される菌株をストレイン[5]へ変更したこと」を通知すれば足り、必ずしも、ストレイン[5]へ変更した理由、すなわち、ピークD問題の経緯や、ピークDを除去するために菌株の変更を行ったことまでをも通知することまでは、倫理的に望ましいこととはいえても、契約上の義務としては導かれないと考える。

しかしながら、ストレイン[5]へ変更したことを通知することに伴い、被告が発酵工程において、バチルス・アミロリキファシエンス菌というバクテリア菌を使用していること、右菌株を改良するために遺伝子工学を施していることは、必然的に原告に伝えられることとなり、ストレイン[4]とストレイン[5]との違いを説明するためには、ストレイン[5]がセルフ・クローニングとは異なるDNAクローニングであることを明らかにせざるを得ないと思われる。

三  争点3(因果関係の有無)について

1 前記認定のとおり、被告には、原告に対し、ストレイン[5]への変更を通知する義務があると解されるところ、被告が右変更の事実を原告に通知しなかったことは当事者間に争いがないので、被告の右通知義務違反と原告の損害発生との間に因果関係があるのかが次に問題となる。

まず、因果関係が認められるためには、一九八九年におけるEMSの発生が被告製LT中の不純物を原因としていることが必要となるので、この点について判断する。

(一) 《証拠略》によれば、以下の事実が認められる。

(1) EMSは、一九八九年末から一九九〇年初めにかけて、米国、ドイツなどの国において疫病的発生が認められた疾病で、その症状は重篤であり、特徴的な臨床症状を示す。すなわち、白血球中の好酸球が増加し、首、肩、腕、胸、下肢のひどい筋肉痛や関節痛、筋力低下、呼吸困難などをきたし、重症例では死亡することもある。米国のCenters of Disease Control(CDC)は、<1>一〇〇〇cells/立方ミリメートル以上の好酸球増多、<2>日常生活を妨げる耐え難い筋肉痛、<3>これらを来し得る感染症、新生物などの疾患を除外できる、の三点を充たすものをEMSと呼ぶこととし、LT摂取と関係のある原因未知の症候群として、全米に情報提供を要請してきた。

一九八九年一〇月、米国ニューメキシコ州の保健当局に三例、EMSの症例が初めて報告された。その後、米国の別の地域からも、同様の症例が数多く報告された。最初の症例報告の後、米国において右症例の流行をモニターするための全国規模の監視調査網が設けられ、一九九〇年六月までに、全国で一五〇〇を超える症例が報告され、後に三八件のEMSによる死亡例があることが確認された。患者の多くは女性(八四パーセント)、ヒスパニックを除いた白人(九七パーセント)で、比較的若く、年齢の中位数は四八歳であった。

EMSの症例は、ドイツ、日本においてもいくつか報告されている。

(2) EMS患者のほぼ全員が発症前にLTを服用しており、そのうちのほとんどが被告製LTにトレースされるLT製品を服用していた。

例えば、製造源のトレースできた症例を見てみると、スラッツカー他の研究によれば、四六症例のうち四五例(九八パーセント)が、ビロンギア他の研究によれば、三〇症例のうち二九例(九七パーセント)が、さらにバック他の研究、ヘニング他の研究においては、症例全員が、被告製LTを摂取していた。なお、スラッツカー他の研究において、被告製LTにトレースされなかった一症例の患者は、二種類のブランドを発症の三か月前に使用しており、同調査においてトレースされたのが、そのうちの一つのブランドだけであったという事情があった。また、ビロンギア他の研究において被告製LTにトレースされなかったLTを摂取したとされる唯一の症例が使用したLTを化学分析したところ、その結果は、被告製品との類似性を示した。

(3) EMSの発生と強い関連性があると考えられる被告製LTのロットは、一九八九年一月から六月の間に製造されたものである。そして、被告は、右時期と近接した時点である一九八八年一二月にストレイン[4]からストレイン[5]への変更を行っていた。

(4) また、汚染されたと考えられる被告製LTの出荷時期と潜伏期間を考慮したうえでのEMSの疫病的発生の時期も時間的に近接していた。

例えば、スラッツカー他の研究によれば、研究対象となった全てのEMS症例が過去三か月以内にLTを摂取していたし、ビロンギア他の研究によれば、研究の対象となった全ての症例(ただし、発病四か月前に摂取を中止した一例を除く。)が、EMS発病の三か月以内にLTを摂取していた。

(5) 米国においても、ドイツにおいても、LTの販売が中止された後、EMSの新規の症例は急激に消失した。

そして、純度の高いLTの使用により、EMSの疾患が快復した個別事例もあった。すなわち、キャストン他の研究によれば、被告製LT製剤服用後にEMSを発現した二〇名の患者に対し、より純度の高いLTを投与した結果、EMSの症状は発現せず、好酸球の値も著しく低下し、右患者のほとんどは、その後も当該症状は発現しなかったことが報告されている。

(6) EMSの疫病的発生について、他の具体的に考えられる原因は欠如している。カーム他の研究も、LTのブランド以外にEMSの発症と有意な関連性を示すリスク因子が見つからなかったことを指摘している。そして、被告も他に具体的に考えられるEMSの原因については、何ら言及はしていない。

(二) 右事実を踏まえて検討するに、訴訟上の因果関係の立証については、一点の疑義も許されない自然科学的証明ではなく、経験則に照らして全証拠を総合検討し、特定の事実が特定の結果発生を招来した関係を是認しうる高度の蓋然性を証明することで足りると解すべきである(最二小判昭和五〇年一〇月二四日民集二九巻九号一四一七頁参照)。そこで、右認定の事実を総合すれば、被告製LTとEMSの疫病的発生との間には、強固な関連性が認められ、経験則上、EMSの発生が被告製LT中の不純物を原因としていることが十分推認できるというべきである。

これに対し、被告は、原告提出の研究等の有効性・信用性につき反論するが、右複数の研究等によって示された被告製LTとEMSとの強度な関連性(オッズ比、相対リスク)は、方法論的な問題点、潜在的なバイアス、混同等で説明のつくものではない。一九九四年一二月に開催されたEMS科学会議の内容が掲載されたジャーナル・オブ・リューマトロジー増刊(一九九六年一〇月号)の論説においても、「昭和電工製LTにおける微少な汚染がEMSの流行病を引き起こしたことを示す証拠は、強力であり、有無をも言わせぬものであった。」「バイアスおよび混同のために、複数の試験が誤って昭和電工製LTとEMSとの間に一貫性のある強い関連性を見出し、さらに特定の製造工程の変更と微少な汚染との間にも関連性を見出したとは信じがたかった。事実、一貫性のなさはバイアスおよび混同のある試験の特徴であるが、EMSの調査からは特に認められなかった。意図的なバイアスの多くは事実よりもむしろ憶測に基づくものであり、主要な結論を変化させたりはしない。」と書かれている。

確かに、現在までのところ、EMSの原因物質は、特定されているわけではない(争いがない)。しかし、被告製LT中に含まれる二種の汚染物質(ピークE及びPAA(パーク5))がEMSの症状(好酸球増加症、線維症)の発現に直接関与することを示すいくつかの報告がある。

そして、LT含有製品の販売停止決定を一九九六年一月一日付けで緩和したBfArMの一九九五年一二月一三日付けの命令及びティーレの回答書を併せ考えると、BfArMは、断定的表現は慎重に避けているものの、EMSの疫病的発生の原因がピークE、ピーク5等の被告製LTに含まれていた不純物であるとの十分な「根拠のある嫌疑」の下に、LT含有製品の条件付き販売再開を認めるという決定を下したものと推認できる。しかも、このような措置以降、LT製品の販売再開にもかかわらず、EMSの再発現の報告がないという事実が、BfArMが前提とした右「根拠のある嫌疑」の正しさを裏付けているといえる。

被告製LTと関連しないEMS(またはEMSのような症状を示す)症例が少数存在すること(スピッツァー他の研究など)、そして被告が援用するその他の証拠によっても前記認定を覆すには足りない。

2 次に、因果関係が認められるためには、被告製LT中の不純物が、一九八八年一二月のストレイン[5]への変更に帰せられることが必要であるので、この点について判断する。

(一) 《証拠略》によれば、以下の事実が認められる。

(1) スラッツカー他の研究によれば、一九八九年一月から六月の間に製造された被告製LTとEMSの発症との間に有意な関連性が認められる。バック他の研究においても、EMS症例と関連する被告製LTが一九八九年初期に製造されたものであることを突き止めている。

(2) さらに、ノアーの意見書によれば、被告の製造工程が基本的に生物学的なものであることを根拠に、LTの汚染は、外部から持ち込まれたものではなく、内部からの汚染であると推測している。そして、右汚染物質は、常時バチルスアミロリクファシエンス菌株が産生していたものであるが、ストレイン[5]の使用、粉末活性炭処理またはフィルターの変更のいずれかによって、その汚染レベルが顕著に増加し、その結果、EMSの発症率が大幅に増加したものであると推測している。

(二) このように異なる研究者が異なる対象・方法を用いて行った研究の結果が一致して一九八九年前半に製造された被告製LTとEMSとの有意な関連性を肯定していること、被告がストレイン[5]への変更を行ったのは、一九八八年一二月の時点だったこと(争いがない)などに照らせば、EMSの発生の原因となる有害な不純物がLTの最終製品に含まれていたこと、そして、右不純物の混入は、右製造工程の変更に帰せられることが推認される。

3 さらに、因果関係が認められるためには、被告が原告に対し、製造工程の変更を通知していれば、原告が被告製LTを利用しなかったことが必要であるので、次にこの点について判断する。

(一) 原告は、製造工程の変更の通知があれば、原告が被告製LTを使わなかったであろう根拠として、<1>当時のドイツ及びECの薬事規制として、ストレイン[5]というセルフ・クローニングを超える遺伝子操作を施した菌株によって製造された被告製LTを原材料としてドイツで医薬品を製造販売する場合には、新規の許可を要したこと、<2>仮に、事後の届出のみが必要であったとしても、事実上慎重な安全性の検査が義務づけられることになるし、多大な時間と労力のかかるEC/八七指令に基づく共同体手続を踏まなければならなかったこと、<3>当時のドイツにおいては、医薬品の原材料としてのLTに遺伝子工学を利用することが「新規で意外」なことであったことを挙げる。

しかしながら、右に掲げた根拠についてはいずれも、前記二3で認定のとおり、認めるに足りる証拠はないので、採用できない。

(二) さらに、前述のとおり、ヴァイドラーは、原告は、一九八八年当時、遺伝子工学を使わなくても十分に作られる可能性のある原料については、遺伝子工学を使ったものは購入しないというポリシーがあったとして原告の主張に沿う証言をするが、一方でそのようなポリシーについて被告や他の原料メーカーに伝えなかったことを認めており、このような事実に照らせば、右証言は、信用できない。

また、原告主張に沿う証拠として、ドイツにおいてその当時LT含有医薬品の製造及び販売をしていた原告以外の医薬品製造業者二社の従業員作成のレター(アルディファーム社のユルゲン・マリンカのレター、ヴィート・グループの薬事法関連規制の責任者であるカストルプのレターが存在し、いずれも、当時のドイツにおいてLTの製造に遺伝子工学を利用することが新規で意外であったことから考えると、仮に遺伝子工学が利用されていることを当時知ったとしたら、安全性を確認するための徹底的な検査をすることなく被告製LTを購入することはなかったと記載されており、ユルゲン・マリンカのレターにおいては、検査等の負担を考慮すれば「私共は、(被告製LTの)いかなる購入をも控え、その代わりに我々の元の供給者から商品を取得したことでしょう。」と述べている。

しかしながら、前述のとおり、これらはいずれも自ら見聞した具体的事実についての記憶に基づく叙述ではなく、作成者らが事後的に振り返って当時の仮定的事象についての意見を述べたものであり、その内容は、抽象的なもので具体的裏付けがないこと、そもそも遺伝子工学利用の事実が当時のドイツにおいて新規で意外であったことを認めるに足りる証拠がないことに照らせば、右各レターは、やはり信用できない。

確かに、原告が被告以外のLT製造業者から遺伝子工学を利用しないで製造されたLTを入手し、そのLT含有製品を継続して製造販売することが可能であったことは、抽象的な可能性としては否定できないが、それはあくまでも理論上の可能性にすぎず、その当時、味の素や協和発酵が遺伝子工学を使用しない方法によりLTを製造していたという事実だけでは、前記証拠関係に照らすと、原告主張の事実を推認することはできない。

(三) 加えて、《証拠略》によれば、以下の事実が認められる。

(1) 前記認定のとおり、当時、遺伝子工学の使用により改良した菌株を用いて製造されたLTが健康に対する危険をもたらすとの具体的な嫌疑はなかった。

また、原告は、本件一般要件の遵守を最初に約した一九八八年二月よりも三年以上も前から既に遺伝子工学を利用して改良した菌株を用いて製造された被告製LTを継続的に購入していたが、それまで本件当事者間においても、安全性を疑わせるような具体的な問題は発生していなかった。

(2) 本件で問題となっている不純物は、動物実験を含む何年間もの研究・実験によっても、現在においてなお科学的見地からはその有害性を確認できてはいない。

(3) 原告は、被告から、米国におけるLTの副作用の可能性についての報告、すなわち、LTの摂取により重篤な疾病が複数の患者に発生した可能性がある旨の重大な報告を受けた際に、直ちにLTの購入を停止することはせず、販売代理店であるSHRに対して、「昭和電工が欧州向けの供給停止に関する性急な決定を行わないように、説得するよう」要請するという行動をとっている。

(4) ピークD問題に際して、ASB社は、SHRに対し、不純物の解明の問題が解決することができないならば、おそらく被告の競争相手からLTを購入することになるだろうと威嚇していたが、そのASB社ですら、被告が「精製工程の変更によってピークDを実質的に除去できる」旨報告した際に、被告製LTの購入を止めることをしなかった。

さらに、同社は、一九八九年一一月後半に米国における副作用の報告を知り、LT一般について副作用の危険が認識されるようになった後においてもなお、同年一二月一四日に至るまで、数週間にわたってLTの販売を継続していた。

(四) 右事実によれば、当時の状況に照らして、原告において遺伝子工学の利用自体についてそれほどの危機意識を持っていたとは思われないこと、また、前記二4(二)で認定したとおり、原告がそもそも製造工程の詳細についてあまり厳格な態度で臨んでいなかったこと、したがって原告サイドの品質検査においても、そもそも厳密な検査方法が採られていたのか疑問であること(少なくとも原告も、ストレイン[3]の供給を受けていながら、独自にピークDたる不純物を発見することはなかった。)、原告と比較して品質管理についてより厳格と見られるASB社ですら、被告から菌株の変更の事実につき通知を受けていても、被告製LTの購入を直ちに停止したか非常に疑わしいことが肯認される。

右事実に、被告製LTの購入を停止することによって原告側が被る営業上の不利益をも併せ考えると、原告によほどの危機意識がない限り、購入停止に踏み切る可能性は低いと思われ、原告にかかる危機意識があることを推認させるに足る証拠はないから、結局、たとえ被告が一般要件に従って、ストレイン[5]への変更を原告に通知していたとしても、そのことによって、原告主張のように、原告が直ちに被告製LTの購入を停止したことを推認することはできず、他に、右主張を認めるに足りる証拠はない。

この点、原告は、遺伝子工学を使用していることを知ったならば、それだけで(安全性についての具体的嫌疑がなくても)直ちに被告製LTの購入を停止するかのように主張するが、右事実及び前記二4(二)の争いのない事実に鑑みると、遺伝子工学使用の事実を知っただけでは、原告において直ちに購入を停止していたことを推認することはできない。

そして、仮に、当時原告が被告の通知を受けて、安全性確認のための試験を行ったとしても、右事実に照らせば、被告製LTが健康に危険をもたらす可能性があることを突き止めることができたかどうかは疑わしいといえる。

そもそも、ストレイン[5]への変更の事実が通知されていれば、原告における試験・検査方法が従来のものとは変わったであろうことを認めるに足りる証拠もない。すなわち、それまで、菌の種類を知らなくても差し支えのない範囲の試験・検査しか行ってこなかった原告が、同一の菌を遺伝子工学を利用して改良したことを知った場合には、全く異なる検査・試験方法を行ったという主張は、<1>そもそも原告が遺伝子工学を菌株の改良に使用していることを知ったならば、具体的にどのように異なる検査・試験を行ったのかも示されていないこと、<2>LTの品質につき、被告は、規格書を提出していたが、原告が右規格書の規格に表されたもの以外の「品質」について特に関心を有していたことを認めるに足りる証拠はないこと(なお、原告は、当初の取引において、被告製LTサンプルについて、品質問題を指摘したことがあることを根拠に、原告の設定する品質基準が厳格なものであると主張するが、原告が要求したのは「製品の外観が黄色がかっているので別の組と混合してほしい」ということであるから、これは製品の外観についてのクレームであって、必ずしも原告が製品の安全性について厳格な態度をとっていたことの根拠とはならない。)などに照らしても、原告は、通知を受けた後に検査をしたとしても、従来の技術で製造したものと同様の方法でリスク評価をした可能性があることを否定できず、やはり原告の主張は採用できない。

なお、仮に被告が原告に対し、ストレイン[5]への変更に加えて、精製工程の変更をも通知していたとしても、前記認定の事実に照らせば、原告がそれによって被告製LTの購入を停止したとは直ちに認めることはできず、その他原告主張の事実を認めるに足りる証拠はない。

(五) したがって、本件においては、原告の損害と被告の通知義務違反との間の因果関係を肯定することができない。

4 以上のとおりであるから、その余の点について判断するまでもなく、原告の主位的請求は、理由がない。

(予備的請求-不法行為)

四  争点1(準拠法)について

不法行為責任については、法例一一条二項により、行為地法であるドイツ法に加えて、法廷地法である日本法による制限があり、原告において、ドイツ法による不法行為の要件の充足に加えて、日本法による不法行為の要件を充たすことを主張・立証する必要がある。

なお、製造物責任については、法例一一条の範疇に属しない特殊な不法行為として、条理により準拠法を決定すべきとも考えられるが、本件は、製造物責任とはいっても、一般の消費者と製造者との間の紛争ではなく、ビジネスとして取引を行う化学製品製造業者と製薬会社との間の紛争であることも考えると、ドイツ法と日本法を重畳的に適用するとの右立場は、条理に照らしても、相当なものであると考える。

五  争点2及び3(請求の成否)について

1 危険回避義務違反について

(一) 不法行為責任を問うためには、被告の義務違反の事実が要件となるので、この点について判断する。

原告は、本件において被告の危険回避義務違反が肯定されるのは、以下の二つの場合であると主張する。すなわち、<1>一九八八年当時、医薬品の原材料として使用されるLTの製造に遺伝子工学を利用することがドイツの医薬品製造業者にとって、予期できず標準的なものでなかった場合には、被告が原告に対して、医薬品原材料としてかかるLTを供給すること自体が、ドイツ不法行為上の危険回避義務に違反した行為に該当し、<2>仮に、遺伝子工学の利用が、その当時のドイツにおいて標準的なものであったとしても、被告が契約上の義務に違反し、ストレイン・精製工程の変更を通知せずに、原告にLTを供給したといえる場合には、契約違反のみならず、不法行為法上の危険回避義務違反が肯定されると主張する。

そこで判断するに、<1>については、前記認定のとおり、一九八八年当時、医薬品の原材料として使用されるLTの製造に遺伝子工学を利用することがドイツの医薬品製造業者にとって、予期できず標準的なものでなかったことを認めるに足りる証拠はないから、採用できない。

次に、<2>については、前記認定のとおり、被告がストレインの変更を通知しなかったことについて契約上の義務違反が認められ、右義務違反は不法行為法上の危険回避義務違反をも構成すると解することも可能である。

(二) 因果関係

そこで、次に因果関係について判断するに、この点については、主位的請求の成否に関連して既に判断したとおり、<1>一九八九年におけるEMSの疫病的発生が被告製LT中の不純物を一因とすること、<2>被告製LT中の不純物が、ストレイン[5]への変更に基づくことは、いずれも認められるが、<3>被告がストレインの変更を通知していれば、原告が被告製LTを購入せずにその使用を差し控えたことを認めるに足りる的確な証拠はない。

したがって、原告の損害と被告の危険回避義務違反との間に因果関係があると認めることはできない。

(三) 以上のとおりであるから、その余の点について判断するまでもなく、原告の予備的主張は、理由がない。

六  なお、付言するに、EMSの疫病的発生により、死亡者も含め、多数の被害者が生じていることに鑑みると、少なくともピークD問題を通して、被告は、ストレインの変更により不純物の量や内容に変化が生じることを認識していたのであるから、仮に、原告に対する法的義務がないとしても、被告製LTが医薬品の原料となるのであるから、自発的により厳密な検査を行ったり、不純物の解明がなされるまで供給を見合わせるなど、その時点でより慎重な行動に出るべきであったとも考えられ、その意味で、安全性よりも営利を優先させた本件における被告の態度には、少なくとも道義的に非難されてもやむを得ないと思われる面があることは否定できない。

しかし、一方、原告についても、被告と対等に国際的取引を行う製薬業者であり、多くの人々の健康に影響を及ぼしうる責任ある立場にいることを考えれば、EMS患者である被害者らとは、自ずと立場を異にするというべきである。原告は、被告の開示・通知なくしては、LTの安全性をチェックする機会が与えられていなかった旨主張するが、真に厳格な品質管理を行うべく、もっと積極的に被告に働きかけ、一般要件にもその旨明示する形でLTの品質に関する情報を要求するなど、原告自身が製品の安全性についてより厳密な態度をとっていれば、本件事件の発生をあるいは未然に防げたかもしれないのであって、本件における全ての責任が被告にあるとは言い切れない。

七  以上によれば、原告の本訴請求は、いずれも理由がないからこれを棄却することとし、主文のとおり判決する。

(裁判官 西口 元 裁判官 沢井知子)

裁判長裁判官 佐藤 康は、転補につき署名押印することができない。

(裁判官 西口 元)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例